武庫川女子大学
img img
文字のサイズ

武庫川学院80周年

「描かれたキャンパス」を集め企画展――卒業生に口コミで人気高まる[2019/05/09更新]

 武庫川女子大学学術研究交流館5階ギャラリーで開催中(5月29日まで)の2019年度春季展覧会「描かれたキャンパスー武庫川学院の景観ー」は、キャンパスの変遷を絵画で振り返るユニークな企画展だ。桜咲く中央キャンパスを描いた油彩画、甲子園会館の木炭画、絵はがきの原画、建築学科や生活環境学科の学生が授業で描いたスケッチなど85点を展示している。1929年に制作された旧甲子園ホテルの設計図、1951年、記念品の文鎮に描かれた竣工間もない本館、1955年度の学生募集ポスターなど、学院史に関わる貴重な資料も含まれる。キャンパスを知る人たちの間で口コミで人気が高まり、地域の人や卒業生が誘い合って訪れている。

 きっかけは、教育学科の故・中西清元教授が在職中に描いた油絵だった。もともと県立高校の美術教師だった中西元教授は1983年に教育学科に助教授(美術教育)として着任し、1992年に退職するまでにキャンパスの風景を7点、油彩で描いていた。2010年に亡くなったが、中西元教授と親交のあった藤井達也教授が、360点にのぼる遺作の中にキャンパスを描いた作品があるのに目を留め、遺族から借り受けた。桜や新緑に覆われた院庭にレンガ色の建物がのぞく牧歌的な景観が、ち密な筆致で描かれている。
 企画展の呼びかけに応じて、生活環境学科の森幹雄元教授やオープンカレッジの奥野元昭講師、附属中高の福井研一教諭ら武庫川学院の教職員をはじめ、学生、生徒、卒業生による「描かれたキャンパス」が続々と集まった。それぞれの描き手がキャンパスにいた時代を映す絵画は、同時代を生きた人にとって、当時の空気感や音までも呼び覚ます記憶のスイッチになる。

 附属中高の校友会誌「武庫」4号は1959年の発行。表紙を描いたのは当時、武庫川高校の生徒だった佐野(旧姓岡野)幸代さんだ。先生から「学院の絵を描いてみないか」と声をかけられ、中央キャンパス西側の風景をスケッチしたが、描いたことすら、忘れていた。展示の連絡を受けて同級生とギャラリーを訪れ、自身の絵と再会。「あのころがよみがえり、胸が熱くなります」と絵に見入った。

 絵の中には今は存在しない校舎も描かれている。1955年高校卒の同級生5人は「この建物は入って右側が院長室だったわ」「このあたりに池があって、四葉のクローバーを集めたね」と、顔を寄せ合って思い出にふけった。
 
 中西元教授の長女で、展示に協力した荒川美幸さんも、たびたびギャラリーに足を運んだ。「武庫川女子大学で過ごした年月は父の第二の人生であり、いろいろな思いを込めてキャンパスを描いたはず。このような展示の機会をいただき、父も喜んでいると思います」と話した。

(米)

80周年記念プレイベントO 座談会「オリンピアンたち」[2019/01/17更新]

 武庫川女子大学にはいくつもの顔がある。「スポーツに強い武庫女」もその一つだ。
 2018年11月17日。武庫川学院出身のオリンピアン、オリンピックゆかりの卒業生7名と大河原量学院長、瀬口和義学長による座談会「オリンピアンたち」がメディアホールで開催された。武庫川学院創立80周年記念プレイベント 卒業生座談会シリーズの第6弾。そこで語られたのは涙と笑いのオリンピック物語だ。2020年の東京オリンピックをめざす運動部の現役学生ら300人が観覧し、会場は熱気に包まれた。

 メキシコ、ミュンヘン、モントリオールのオリンピック3大会(水泳)に出場した村山よしみさんを筆頭に、同じく水泳でモントリオール五輪に出場した田嶋恭江さん(現健康・スポーツ科学部教授)、春岡杜史子さん。体操競技では、世界体操選手権大会(ドルトムント)団体3位の小沼博子さん、ロサンゼルス五輪出場の黒坂文美さん。カヌーからアトランタ五輪の東野麻子さん、アテネ、北京の五輪2大会に出場した金村祐美子さんが登壇した。
 あまり知られていないが、武庫川女子大学は延べ15名のオリンピアンを輩出している。オリンピック出場が卒業後だったり、在学中であっても、所属するスポーツクラブから出場したりすると、「オリンピック」と「武庫川女子大学」が結びつきにくいが、1964年の東京五輪以前から「アスリート養成に理解のある大学」として定評があった。
 最初にオリンピックに王手をかけたのは小沼さんだ。豊岡市出身。当時、体操部を率いていた行森光教授にスカウトされ、高校から武庫川学院に進んだ。東京オリンピックの年に、高校3年でインターハイ個人総合優勝を果たし、オリンピックの聖火ランナーに選ばれて兵庫県庁周辺を走った。この快挙を喜んだ校祖・公江喜市郎学院長が、東京五輪終了後、本学に体操のメダリストを招き、「アフターオリンピック」を開催。小沼さんが本物さながらに聖火を掲げて浜甲子園キャンパスのグラウンドを一周し、公江学院長に手渡した。
 小沼さんは1965年、ナショナルチーム入りを果たし、武庫川女子大学時代に世界体操選手権大会団体3位の快挙に貢献して、メキシコ五輪は確実とみられた。ところが、大学3年でひざのじん帯を切るアクシデントに見舞われ、遅れを取り戻そうと無理をした結果、病気に倒れ、メキシコ五輪の切符を逃した。見舞いに来た公江学院長が「もうオリンピックのことは考えなくていいからな」とねぎらってくれたのが、苦い思い出として、今も胸に残っている。
 卒業後は審判として活躍し、現在も体操指導を続ける小沼さん。「オリンピックに出るってすごいことです。トップアスリートが死ぬ気でやっても、予選の日に調子を合わせられなければだめ、しかも4年に1回しかチャンスがない。頑張ってもなし得ないことがあるが、経験したことは、10年、20年後にすべて身について生きてきます」と話した。
 小沼さんが出られなかったメキシコ五輪に、水泳で出場したのが、武庫川女子短期大学卒の村山さんだ。東京五輪をテレビで見て、オリンピックにあこがれたという村山さんはヤマダスイミングクラブ(当時)にスカウトされ、選手として急成長。15歳でメキシコオリンピック、19歳でミュンヘンオリンピックに出場後、イトマンスイミングスクールに移籍して、23歳でモントリオールオリンピックに出場した。
 モントリオール五輪では、村山さんのほか、同じく水泳で当時、武庫川高校2年生だった田嶋さん、春岡さんが同じ400mメドレーに出場し、7位の成績を収めた。3人とも、小学生のころから才能を見出されたエリートアスリートだが、オリンピック出場までの道は壮絶だ。村山さんは、なかなか泳法を絞り切れなかった苦労を語り、「どの種目も負けたくない、と頑張ってきた結果、個人メドレーで日本記録を連発するに至った」。春岡さんは、両親の期待を背負って九州から武庫川高校に進学。体を壊して医師から「命をとるか、水泳をとるか」と迫られたとき、両親が「水泳をとる」と言い切った真剣さに打たれ、逆に吹っ切れたという。田嶋さんと二人で深夜まで練習を続け、「絶対オリンピックに行こう」と誓い合ったことを、声を詰まらせながら振り返った。
 
 14歳でオリンピックに出場した黒坂さんは、行森教授の長女。小学生のころから武庫川女子大学の体育館で練習を積み、三井正也コーチ(現 健康・スポーツ科学部教授)の指導のもと、ロサンゼルスオリンピックに出場した。「明確な自覚もなく、周囲のコーチや先生方に連れて行ってもらったオリンピックだった」と振り返る。
 近年目立つのはカヌーの躍進だ。現在も全日本インカレ7連覇中のカヌー部は、東野さん、金村さんをはじめ、多くのオリンピアンを輩出している。
 物心つく頃から競争にさらされる体操や水泳と違い、大学から始めてオリンピックをめざせる競技だ。アトランタ五輪に出場した東野さんは、「大学時代、目指していたインカレ総合優勝が台風の影響で流れ、卒業後のアジア大会でも、藻がカヌーの先端にひっかかるアクシデントがあって、結果に納得がいかず、やめられなかった。気が付けば、アトランタオリンピックが目の前にあった」、金村さんは「強いカヌー部を受け継ぎ、新しいチームを作り上げる心構えを先輩たちから教えられた。目の前のチャンスを乗り越えるうち、オリンピックに至った」と言う。

 大河原学院長は「公江先生はオリンピック選手を育てようとしたわけではなく、学生生徒がみんなスポーツに親しんで、健康で有為な社会人になるように、という思いがあったのでしょう」と言う。強化クラブを設定して、プロコーチを招聘するなど、トップアスリート育成に本腰を入れる現在も、「文武両道」は、武庫川女子大学の基本方針だ。2017年2月にスポーツセンターを開設し、アスリートが競技のために学びの機会をそがれないよう、サポート体制を整えている。この取り組みは、スポーツ庁による2018年度の大学スポーツ振興事業の対象に選ばれた。座談会ではこうしたサポートが学院の伝統であることも話題にのぼった。
 田嶋さんは「中高時代は遠征等で授業を休むと、先生が補習をしてくれた。友達もノートをとってくれて、学院を挙げての応援を感じた」、小沼さんは「田舎から出てきた私たちのために、当時の事務局長(荻野八郎氏)が、自宅を体操部の寮として提供してくださった」と振り返った。
 座談会では、東京五輪を目指す在学生4人も登壇した。陸上の秦寿美鈴さんは「競技を続ける以上、オリンピックを目指したい」、体操の平岩優奈さんは「日本に必要とされ、メダルを狙える選手になりたい」と意気込みを語った。

(米)

学院を支えて48年――前男女共同参画推進課課長が「本を編む」で“記者会見”[2018/07/24更新]

 学生が取材、執筆の手法を学び、学生目線の80年史B面づくりに取り組む共通教育「本を編む」で2018年7月9日、前男女共同参画推進課課長の大山冨美子さんがゲスト講師を務め、学生たちの質問に答えた。
 大山さんは1972年、武庫川女子短期大学二部英文科卒。短大入学と同時に武庫川学院に入職し、夜間学びながら、薬学部事務室で勤務した。卒業後も引き続き勤め、附属中高会計課時代、女性初の課長に抜擢された。2013年からは男女共同参画推進室の立ち上げに関わるとともに、女性研究者支援センターの事務支援も兼務。保育ルーム「ラビークラブ」の開設をはじめ、働きやすい環境づくりに尽力し、2018年3月、定年を迎えた。
 「本を編む」では、これまでも職員やOGを多数、ゲストに迎えている。一方的に講義を聞くのではなく、学生がゲストと質疑応答する「記者会見方式」が授業の特色だ。大山さんにも、学生が次々に質問を投げかけた。

 前例のない「女性課長」という立場に立ったときの心境について「ご自身も上をめざす強い気持ちがあったのですか」「周りの反響は」など、質問が相次いだ。大山さんは「当時、昇進は男性優位で、女性は頑張っても上にいけないと諦めていたので驚きました」「期待されていると感じる一方、冷ややかな視線もあり、困惑しました」と、控えめに答えた。

 私生活では子育てと介護が重なり、多忙を極めた時期もあった。「がむしゃらに生きてきました。自分のキャリアアップに手が回らなかったのが残念」と苦笑。定年後も非常勤で業務を継続し、家庭では孫育てに駆り出される日々だが、「これから自分の時間をゆっくり作っていきたい」と話した。

 短大時代は東寮で過ごし、当時の寮生とは今も交流があるという。「寮は8畳に4、5人が暮らし、銭湯に通った」「2部で学びながら職員として働く学生が1学年に20人以上いた」「教室は冷房もなく、窓を開けると車の音で授業が聞こえなかった」――。40年以上前のキャンパスライフに学生は身を乗り出して聞き入った。校祖・公江喜市郎先生や2代目学院長の日下晃先生にも話は及び、「公江先生は声が大きく、話の間の取り方がすごく上手。迫力のある方でした。日下先生はジェントルマンでかっこよかったですね」と、懐かしんだ。
 武庫川女子大学では女性の採用や登用は、数字の上では比較的進んでいるが、「男女共同参画に対する社会の意識の変化は遅い。女性が生きやすくなったとは言い難い」と、世の中に苦言を呈した。「100周年のころ、どんな武庫川女子大学になってほしいですか」という問いに、「管理職の半数を女性が占め、男女ともに働きやすい環境になっていてほしい」と答えた。

(米)


 

iPadを全生徒に――ICT化進める附属中高[2018/05/24更新]

 「iPadを出して、ロイロノートを起動させてください」。武庫川女子大学附属中学校で、3年生の国語の授業を受け持つ大ア剛史教諭が声をかけると、全員がiPadを机の上に取り出し、慣れた様子で画面をタッチし始めた。「用紙を送りました」は、資料を一斉送信した状態。「できた人から出してください」は、ログインして先生に送信せよ、ということだ。しばらくすると、スクリーン上に次々に生徒の回答が現れた。プリントを配布し、黒板に書いて発表する従来のスタイルとは様子が違うが、生徒らは他の人の回答を見て、活発に意見を述べていた。
 調べものにもiPadは活躍する。2017年度にWi-Fi環境が整備され、検索はスムーズだ。英語科の田辺瑞歩教諭は、授業のテーマに沿って各自でネット検索し、wordでレポートを作成するよう指示した。写真や資料を貼りつけようとして、サイズが大きくなりすぎるなど、生徒は悪戦苦闘。「iPadは便利だけど、操作がちょっと難しい」と、ぼやきつつも楽しそうだ。
 附属中高では、2017年から順次、iPadの導入を進めている。同時に全教室に電子黒板を配備。iPadは2018年6月までに中高の全生徒が持つ予定だ。情報のバックアップのため、大学と共通の「mwu.jp」のアドレスも付与した。また、クラウドサービスの「Classi」を取り入れて、日々の連絡や学習記録、予習復習にiPadを活用している。
 そもそも附属中高はスマホの携帯を禁止しており、アドレスを付与することには慎重意見もあった。このため、当面は全学年とも、アプリなどを自由にダウンロードできないよう、学校側が制限をかけている。また、「iPad武庫女リテラシー」という規約を作って配布し、節度ある利用を呼び掛けている。
 教職員の会議や連絡も2018年度から原則としてiPadで行うことになった。必要な資料は共有フォルダにPDFで入れておき、各自でiPadにダウンロードする。大量の紙資料がなくなり、過去の資料も検索しやすいとおおむね好評だ。
 こうしたICT化に対応するため、2018年からSE(システムエンジニア)の職員が常駐している。この職員を中心に、これまで業者委託だったホームページを、学校独自に作ることになり、2018年5月、リニューアルした。業者を通さないことでデザインの変更に即応でき、フレキシブルに作り込みができる。今後はクラブ活動やイベントの動画もアップし、リアルタイムで情報を出していく方針だ。
 附属中高のICTの取り組みは早く、2000年に中高で情報教育の授業を始めたのを機に、教室のマルチメディア化や、図書館システムの導入、パソコン教室の整備を進めた。
 情報の授業は中1と中3〜高校2年までは週一回の必修科目。WordやWebページの作成、表計算、データベースの構築などを学ぶ。高校3年はプログラミング言語(C言語)を習得する選択科目になる。約40人が受講しており、ゲームや楽曲作成、心理テストなど、オリジナル作品を制作する。附属中高が進める理系女子の育成につながる成果だ。 

(米)

80周年記念プレイベントN 座談会「女性研究者」[2018/02/26更新]

武庫川女子大学は多くの女性研究者を生み出している。

武庫川学院創立80周年記念プレイベントNとして2018年2月23日、国内外で活躍する第一線の研究者による座談会が開催された。

 米ミドルベリー国際大学院モントレー校、ジェームズ・マーティン不拡散研究センターで研究と教育に携わる土岐雅子さん(英米文学科卒)、米メイヨークリニックの研究員、浜田直美さん(食物栄養学科卒)、小林製薬中央研究所の研究戦略担当課長、河崎美保子さん(薬学部生物薬学科卒)、神戸大学大学院人間発達環境学研究科の研究員、田中美帆さん(心理・社会福祉学科卒)が参加し、大河原量学院長らと、「女性研究者育成の課題」について語り合った。
 研究者の喜びとして「論文が科学雑誌に掲載されたときは、やった!と思った」「仮説通りの結果が出たときは、うれしくて誰かに言いたくなる」など、達成感を挙げる人が目立った。一方、「子育てや介護などライフスパンを見通して、あまり拠点を動かせないと考えると、ポジションの選択肢が限られる」「研究時間が長く、出産、育児のタイミングが難しい」など、仕事とライフイベントの両立に悩む声も聞かれた。母校の学びを振り返り、「研究の基礎は武庫女で培われた」と口をそろえ、「多様な先生がそろい、丁寧に学生と向き合ってくれた」「先生も友人も、学びたい意欲を応援してくれる校風があった」と、感謝する声が続いた。
 女性研究者がいまだ少数派で、ハードルが高い現状に対し、「留学も英語もあまり特別視せず、もっと気軽に、身近に感じてほしい」「ちょっと無理めの目標を掲げ、チャレンジして」「アメリカ分校のある素晴らしい環境を活用して、世界に羽ばたいてほしい」と、呼びかけた。
 女子大であることの意義にも話は及び、「若いときに女子だけで学べてよかった面が多いのでこの伝統を引き継いでほしい」「男性に気を遣わず、伸び伸びと研究に打ち込めた」と肯定する声が相次いだ。

(米)

▲ページトップへ