武庫川女子大学
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武庫川学院80周年

学寮物語 1 ― 能婦寮(1960 〜 1977年)[2017/03/22更新]

 「能婦寮」は、学生急増期の1960年3月、第一学舎(現中央キャンパス)に隣接する校友地に開設した。それまでは民間のアパートなどを借り上げて寮にしており、学院が自前で建設した学寮としては初。木造平屋建3棟。「能婦」の名は、校祖・公江喜市郎氏の母の名「のぶ」にちなむ。「あの母のような非常に働きのある努力家で、しかもつつましやかだった婦人が、この世に一人でも多くできるようにと深く心に願うが故に、特に名付けた」と、校祖自ら述懐している(「百翁を偲びて」)。寮では、教職員が寮監・寮母として住み込み、家族ぐるみで寮生の指導と寮の運営に当たった。歓迎遠足や寮対抗の体育祭(写真は1973年。右端のプラカードに能婦の字が見える)、学院長、学長らを招いての夕食会など、楽しい行事が催された。立学の精神に基づく「教育寮」の理想を掲げ、家庭的でぬくもりある学寮の伝統は、「能婦寮」で確立した。
 
1960年から2年間、能婦寮で過ごした大和田千鶴子さん(短期大学部家政科 1962年卒)の話。

「短大の2年間で栄養士の資格も教職もとれるというので、尾道の高校から進学しました。能婦寮は新築できれいでしたが、トタン屋根で音は筒抜けでした。
 一部屋6畳に4、5人が入りました。30室くらいあったでしょうか。壁際に人数分の文机と座布団を並べ、布団はびっしり横一列に並べて寝ました。冷房はなく、冬は火鉢で暖を取りました。トイレは共同、風呂は近くの銭湯へ。食事は学校の食堂で食べました。
 入学当初は福山や因島など郷里の近い人と同室でした。親許を離れて心細いときに、言葉や育った環境が似た人と過ごせてほっとしました。その後は半年に一度、部屋替えがありました。苦手な人と当たっても我慢するしかない。『人生勉強だから』という寮監先生の凛とした厳しさは、今になってありがたいですね。
 朝6時に点呼、それから掃除です。時々同室の人と大阪に買い物に行くのが楽しみでしたが、門限が早くてね。夏ならまだ明るいうちに門を閉められてしまうので、いつも走って帰りました。夜10時には消灯です。本を読むときは廊下の電灯の下で読みました。テレビもなく、今の人ならとても過ごせない環境でしょうけど、当時はそんなものと思っていました。楽しかったですよ。人生の一時期を家族のように過ごした寮の仲間は生涯の友になりました。今も交流は続いています。会えば当時の話で盛り上がり、電話はついつい長電話です」

(米)

「MathTOUCH」で数式をラクラク入力――最新成果を国際会議で発表へ[2017/03/17更新]

 分数やルート、微分積分――。数式をパソコン入力しようとして、はた、と戸惑う。「2分の1」と入力しても、めざす数式に変換されない。数式ツール等を使うにも、特殊な指示記号を入力したり、テンプレートから数式や記号を選んだり、手順が煩雑でわずらわしい。
 そんな不満を払しょくするのが、数式入力インターフェース「MathTOUCH」だ。数式を読み上げるように前から順に入力し、スペースを押すと、変換候補が表示される。Xの2乗なら、X2。2分の1なら1/2または2bunno1と入力。多少、あいまいな入力でも、即座に候補が現れる。まるで、かな漢字変換のようにスムーズでストレスがない。
 開発したのは、生活環境学部情報メディア学科の福井哲夫教授(写真左)。Eラーニングのオンラインテスト等で、機械による自動採点を行うにはデジタル入力が必須だが、数学の解答は選択式や穴埋めが主流で、思考力を測るには物足りない状況が続いている。そこで福井教授は、「学習環境が多様化する中で、デジタル化の流れを実効性のあるものにするには、だれでも使える数式入力インターフェースが必要」と、約6年前、「MathTOUCH」を開発した。従来の数式入力方法は、機械が数式をフォーマットするために必要かつ完全な情報をユーザーが入力しなければならないのに対し、MathTOUCHは機械の方が、ユーザーに合わせてくれる。逆転の発想だが、「数式は言語と違って複雑な構造をしているので、人の指示のあいまいさを許容して、的確に候補を出してくる仕組みづくりは大変でした」と、振り返る。学生による実証実験では、従来方式と比較し、MathTOUCHを使った方が数式の入力にかかる時間が約1.4〜1.6倍速く、難しい記号を覚える必要がないことから、満足度も高かった。白井詩沙香助教らと改良を続け、最近は、AI(人工知能)の技術を応用することで、式をひとまとまりとして予測する学習機能が備わった。いまや4000種の数式を、85%の正しさで予測可能。行列など複雑な入力も難なくできる。三角比を勉強している時期は、その種の数式が優先的に上位に出てくるので、勉強もはかどりそうだ。
 2015年に特許取得。2017年7月、カナダ・バンクーバーで開かれる「HCI(ヒューマンコンピューターインタラクション)」会議で「一般数式に対する線形文字列変換のための予測アルゴリズム」と題し、最新の成果を発表する。すでに解答だけでなく、問題作成にも応用されつつある「MathTOUCH」。2020年に控えるデジタル教科書導入に向け、ますます注目が集まりそうだ。

(米)

学生相談センターはコミュニケーションの練習の場[2017/03/13更新]

 2017年2月、研究所棟の一室から甘い匂いが漂ってきた。エプロンを着けた学生たちが、ピザ生地に板チョコとマシュマロをトッピングしたチョコピザづくりの真っ最中(写真右)。交代で生地を伸ばしたり、アーモンドを砕いたり。焼き上がりを待ちきれない様子で「おいしそ〜」と、オーブンをのぞき込んだ。

 一見、料理教室のようだが、学生相談センター(がくそう)のグループプログラム「茶話(さわ)やかアワー」の一幕だ。他大学に比べ、退学率が低いといわれる武庫川女子大学で学生支援の一翼を担い、1965年の開設以来、半世紀以上にわたり、心のセーフティネットの役割を果たしてきたのが”がくそう”だ。
 何らかの悩みを抱えた個人やグループからの相談を受け、カウンセリングを行うのが主たる業務だ。1990年にセンターとなり、相談内容の多様化と件数の増加に伴い、現在は週6日開室し、学生相談員が4人体制で対応にあたっている。継続して相談が必要なケースが増え、相談件数は2016年度、初めて延べ2000人を超えた。
 学生のほとんどが、自発的に来室するが、「この程度の悩みで来ていいのかな」「もっとしんどい学生が来ているのでは」と、敷居高く感じる人は多い。そこで、がくそうでは、待合スペースにソファや飲み物、雑誌等を備え、ゆったり過ごせるサロンにしている。「中高の保健室よりも居心地がいい」と、思ってもらえたら、しめたものだ。現センター長で臨床心理士の本多修・文学部教授(写真左)は「学内に居場所がないと感じる学生、疲れている学生が自由に、安全に休める場所を提供したい。ここに来るのに特別な理由はいりません。コミュニケーションの練習の場だと思って気軽に利用してほしい」と呼びかける。「茶話やかアワー」は、がくそうを身近に感じてもらおうと、1994年度から月1回ペースで開催。ハロウィンのジャコランタン作り、クリスマスのリースづくりなど、季節ごとにテーマを設定し、日ごろ、がくそうに足を運ばない学生の参加も多い。
 教職員との連携も欠かせない。2009年度以降、各学科、各事務部局との交流会を開催するとともに、「教職員のための学生サポートブック」を配布し、現場とのつながりを密にしている。
 カウンセリング後、元気に挨拶に来る学生もいれば、いつの間にか来なくなる学生もいる。卒業して1年間はフォロー面接が可能だが、どこかで手を離さなければならないのが、「学生時代」に限定される”がくそう”の機能だ。
 本多センター長は「スムーズに学生生活を送れない学生に、軌道修正のチャンスを与えるのは、最後の教育機会である大学の責任です。学生相談は、当人の潜在的な能力を伸ばし、成長をサポートする発達促進的な側面が強い。広義の大学教育の一環として、学生相談センターの果たす役割はますます重要になっています」と話している。

(米)


 

コトバの魅力を堪能――言語文化研究所が特別学期に公開講座開催[2017/03/02更新]

 特別学期の2017年2月18日、日下記念マルチメディア館・メディアホールで開かれた言語文化研究所の公開講座は「ネーミングのコトバ学」を統一テーマに、3人の研究員がオムニバス形式で講義をする意欲的な授業だった。
 ――グルメがテーマの人気ブログは、タイトルで「自分」をアピールする傾向がある。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」は、「Midsummer」の季節感としては「盛夏」ではなく、「初夏」。最近のキラキラネームは「訓は意味を表す」という伝統的漢字の意識が失われ、音が重視される傾向にある――。次々に繰り出されるネーミングの“新情報”に、一般参加者や学生らはメモを取りながら聞き入った。
 言語文化研究所は1988年に開設され、「コトバ」に特化したユニークな研究で知られる。2014年度、英語文化学科の玉井ワ教授が所長になったのを機に、日本語だけでなく、中国語、英語など、言語のフィールドを広げている。公開講座は、研究成果を地域に還元するとともに、学生の知的好奇心にこたえようと企画した。研究所が授業を開講するのは珍しい。まず、玉井所長が「外国文学作品の翻訳タイトルの付け方」と題し、講義。翻訳タイトルを「直訳」「カタカナ置き換え」「意訳」など、5種類に分類して紹介するとともに、万葉集から村上春樹まで、日本の文学作品のタイトルが、英語でどう紹介されているかを考察した。明治期の翻訳に「じゃじゃ馬ならし」や「嵐が丘」など名訳タイトルが多いのに対し、最近は英語をカタカナ表記しただけのネーミングが目立つことから、「日本語に置き換える努力を放棄し、易きに流れているのでは」と問題提起した。
 また、岸本千秋助手は、人気ブログのタイトルから、ブログのテーマによって、書き手の自己顕示欲が見え隠れすると指摘。「ペットがテーマなら自分は黒子に徹するが、グルメ好きは自分が前に出る」と分析した。前所長の佐竹秀雄研究員は、人名のつけ方の変遷をたどり、「自分のものなのに、自分で決められないのが名前。名づけに個性を求める気持ちが新しい漢字の使い方を生み出し、それが流行となって、名前に時代性を付与している」と読み解いた。
 講座に引き続き、他の研究員も交えてシンポジウムを開催。会場から「名づけに何らかのルールが必要では」「名前は容易に変えられないが、読みは変えていいのか」など、活発な意見が出て、「ネーミング」への関心は尽きることがなかった。

(米)

教員だって悩んでいる――教育力向上めざし、FD勉強会開催[2017/02/24更新]

 健康・スポーツ科学部の松本裕史准教授の授業は「予習レポート」に特色がある。次回の授業範囲をあらかじめ教科書で指定し、A4一枚にまとめて授業の初めに提出する。意見を求める際、ボールを使うのもユニークだ。「じゃあ、ボールを受け取った人、答えてください。はいっ」。松本准教授が投げたボールを、受けた人が答え、またボールが渡った先で、別の人が答える。そうしてテンポよく、質疑が繰り返されるうち、場は温まり、授業への意欲が高まるというわけだ。
 ただし、この日、ボールを受け取ったのは学生ではなく教員たちだ。2017年2月16日に開かれたFD(ファカルティ・デベロップメント=教育力向上の組織的取り組み)勉強会。FDは大学設置基準に基づき、2008年4月、大学・短大に組織的活動が義務付けられ、武庫川女子大学でも同年1月からFD推進委員会を立ち上げて、研修や授業公開等に取り組んでいる。この日は大河原量学院長はじめ、自主的に集まった教員ら約30人が、「学生が学ぶ喜びを感じる授業とは?〜Teachingからlearningへの転換を図るために〜」.というテーマで、松本准教授らの事例報告をもとに意見交換を行った。
 共通教育部の古野貢准教授も事例報告に立ち、共通教育科目「本を編む」で活用している「記者会見方式」を紹介した。学生が「記者」になって、ゲストスピーカーや教員に次々質問を投げかけるスタイルだ。いずれの事例も、教員が一方的に知識を教える従来の座学から、学生主体の「アクティブ・ラーニング」にどう転換するかに焦点がある。参加した教員からは、「学生の主体性を引き出すには、強制されている、と感じさせない工夫が大事」「場を温めてから授業を始めると、円滑に進むだけでなく、マナーもよくなる」など、共感する声が上がった。教員同士が弱みを見せあえるのもFDのメリットだ。ある教員の「盛り上げるのが苦手」という意見をきっかけに、「教員になりたてのころは、私語をする学生を怒鳴りつけていた」「メンツにこだわってはだめ」「教員から歩み寄るべきと、学生に教えられた」など、率直な声が続いた。
 会の終盤、「ベクトルを自分に向ける」というフレーズが、複数の教員の口にのぼった。ベクトルは今、どこを向いているのか、学生のせいにしていないか、自分に改善の余地はないか――。教員も悩みながら学生に向き合っている。活発で赤裸々な語り合いは、武庫川女子大学のFDのベクトルが間違いなく、未来に向いていることを感じさせた。 

(米)


 

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