武庫川女子大学
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武庫川学院80周年 共通教育『本を編む』履修生も取材中!

共通教育「本を編む」は、2016年度から2019年度の4年間で、学生が取材、執筆、編集を学び、「もう一つの80年史」を作るチャレンジングな授業です。
学生が書いたフレッシュな記事を、一足早く、お届けします。

人をつなぎ、創意工夫をつないだ40年[2017/11/13更新]

総務部
後藤章部長

 「あのプレッシャーを乗り越えた時代を忘れられない」。そう語るのは、武庫川学院に40年以上勤める後藤部長だ。様々な部署を通して、学院を見てきた後藤部長が、「忘れられない」というのは、1978年から1994年まで16年間、第二代学院長の日下晃氏の秘書として勤めた日々だ。日下前学院長を間近で見て、その人柄と教育への情熱に尊敬の念を抱き、懸命に仕えた。「日下先生は、初代の公江喜市郎先生から学院長を引き継いだ当初、プレッシャーで夜も眠れない日もあったようだ」と振り返る。初代・公江氏は1939年に、武庫川学院を立ち上げた校祖であり、若くして兵庫県教育界を率いた”カリスマ的人物”。すでに副学院長・学長として公江氏を支えてきた日下氏だったが、やはり重圧だったはずだ。その中で、先代の思いを受け継ぎ、学部改組、学科増設、大学院の高度化など、武庫川女子大学の教育の質の向上に全力を尽くし、「プレッシャーを乗り越えて」学院を発展させた。
 後藤部長が日下前学院長から教わったものは数知れない。その1つが「創意工夫」だ。「日下先生は、常に学院の発展を願い、そのための工夫を凝らし、努力を重ねておられた。教育に人生をささげ、激しさを増す大学間競争を勝ち抜いたその姿は、公江先生とだぶって見えました」と言う。
 「いろいろな部署、いろいろな仕事を経験したが、どんなところにも楽しみはある。武庫女生には、就職先で、”楽しい”と思える仕事を積極的に見つけてほしい」と笑顔で語る。常に新しいもの、より良いものを探し、発信し続ける後藤部長には、どこか日下前学院長の情熱が息づいている気がした。

南文華(大日3年)、山崎蓮珠(大情2年)

頼れるキャリアセンター[2017/09/25更新]

キャリアセンター
中川千寿さん

 「中学からずっと武庫女で、自分が一番役に立てる場所はここだと思った」。
 キャリアセンター職員の中川千寿さんは、キャリアセンター歴10年、就活支援のベテランだ。
 附属中高から武庫川女子大学短期大学部に進み、母校で就職した自分のことを「超ディープナイバー※だよね!」と紹介する気さくな人柄。学生はそんな中川さんに親近感をもって、就職や進路のことを気軽に相談する。
 「将来を決める時期の学生と、深い関わりをもてるこの仕事は、本当にやりがいがあります。卒業後も直接、間接的に大学を支えてくれて、長いつきあいができるのがうれしい」と笑顔で話す。
 キャリアセンターがリニューアルしたのは2015年。以前は公江記念館にあり、窓が少なく、入り口も奥まっていて分かりにくい場所にあった。リニューアルを機に日下記念マルチメディア館の2階に移転。ガラス張りで見通しがよく、ホテルのラウンジのように優雅なセンターに生まれ変わった。学生が就活等で、どのような場に立っても気後れしないようにと設計されたものだ。
 「武庫女の子は、大人との接し方が上手だなって思います。人懐っこいし、男性とも、張り合うのではなく、相手を立てつつ行動する協調性もある。自信をもっていいんだよ!」
 中川さんの言葉には、進路に悩む学生の話を受けとめ、しっかりと背中を押してくれる力強さと優しさがこもっている。こんなにも頼りがいのあるキャリアセンターが、本学にはある。

※ディープナイバー:武庫川女子大学附属中学、高校から内部進学した学生をディープナイバーと本学学生の一部は呼ぶ。

八野真緒(大日1年)、濱田真波(大情2年)

寮母は寮生の”お母さん”[2017/09/25更新]

淳正寮 寮監補助員
上原知永さん

 50年以上の歴史を持つ淳正寮は武庫川女子大学の5つある学寮の中で、2番目に古い寮だ。さわやかな笑顔が印象的な上原さんは、寮生の”お母さん”として、夫である寮監とともに25年、寮の運営にあたってきた。
 武庫川女子大学を卒業後、附属中高の教員となった。結婚を機に他校の非常勤講師となって間もなく、当時の淳正寮の寮母が体調を崩し、上原さん夫妻に「寮監寮母をお願いできないか」という話が舞い込んだ。「ちょうど、母校の文学専攻科教育専攻(体育)に進学を考えていたときでした」と上原さん。寮母、教員、学生という”三足のわらじ”を履いて、大忙しの日々がしばらく続いた。
 当時の寮の様子を尋ねると「まだ携帯電話も普及しておらず、外泊、帰省についての規則も現在より厳しかったので、ホームシックになる学生が多かったですね。”5分(で交代)厳守”の公衆電話に、長蛇の列が毎日続きました」と言う。娯楽といえば、1台のテレビを丸く囲んでドラマを見ることだった。1部屋の人数は4人(現在は3人)で今より多く、門限も9時(現在は10時)と早く、アルバイトもしにくかった。
 「あのころに比べると、今は格段に生活しやすくなりました」と上原さん。「みんなが住みやすい寮にしよう」という信念を持って取り組んだ上原さん夫妻の努力の成果でもあるだろう。
 食事は当初、大学の食堂から配達していたが、2006年に寮内に厨房ができてからは、調理員さんが作ったものを温かいうちに食べられるようになった。定期的に寮生発案のレシピコンテストも開かれる。浜甲子園キャンパスに隣接し、もともと薬学部の学生が多かった淳正寮だけに、国家試験に向けて寮生全員で励ましあう様子は、今も昔も変わらない。スマホやパソコンが普及した今では、大勢でテレビを囲むことも、夜にお茶会を開くことも少なくなった。でも、上原さんたちに見守られ、たくさんの”家族”と過ごす学生たちは、どんなときでも決して孤独ではないだろう。

八木乃々亜(短英新1年)、原つきみ(短英新1年)、奥陽菜(短日2年)

丹嶺と歩んだ27年[2017/09/25更新]

丹嶺学苑研修センター
加治由佳子さん

 武庫川学院北摂キャンパスにある丹嶺学苑研修センター。初期演習やクラブ活動の合宿等で学生にはおなじみの施設だ。「丹嶺」の名は、校祖・公江喜市郎氏の雅号の一つだという。2016年4月、「快適な環境」をめざしてリニューアルした本館は、学生、教職員、卒業生の研修の場として、ますます親しまれている。
 加治さんは、同センターで勤続27年。現在は主任指導員として勤務している。この職に就く前は文学部教育学科初等教育専攻人間関係コースで大学生活を送っていた”武庫女生”だ。
 年間7500人が訪れる同センターの仕事のやりがいは、「プログラムの指導案をすぐに実行、フィードバックできる点」にあるという。企画の意図が学生に理解してもらえないときは悩むこともあるが、「改善策を考えるのも、やりがいかな」と、楽しそうだ。
 長年、武庫女生を見守り、支えてきた加治さんは気になることがある。「数年前に比べると、自分で考えず、すぐ質問する学生が増えた印象があります。”タオルを忘れたのですが、どうしたらいいですか”などと聞いてくる。指示待ち人間になっていないか少し心配」と顔をくもらせた。
 「見えないところを大事にできる人になって欲しい。今しかできないことをたくさん体験してもらいたい。自分の枠を決めず、いろんなことに挑戦してほしい」と、後輩に期待を寄せる。
 加治さんの指先はきれいなネイルが施されていた。聞けば最近、興味を持って、始めたという。自らも挑戦を続けるその姿勢に、同じ女性として憧れを抱いた。

湯浅愛理(大日2年)、森下美香(大日3年)

図書館を見つめ続けて[2017/09/25更新]

元図書課長 
森本恵三さん(現文学部事務室課員)

 「学生時代から本が好きで、図書館は身近な存在だった」という森本さんが、「将来は図書館で働きたい」と思うようになったのは自然なことだった。大学在学中に図書館司書の資格を取得。4年生のとき、武庫川学院の求人票を見つけ、就職した。
 入試広報などに携わった後、1982年に念願の図書館に配属された。現公江記念館が、当時の図書館だった。当初、本の管理はすべて手作業。貸出カードも手書きだった。「どうすれば、魅力ある図書館になるか」「どうすれば、学生が足を運んでくれるか」と、工夫を重ねた。コンピューター管理への切り替えも大変だったが、「一番大変だったのは、中央図書館への引っ越し」と言う。1993年8月から取りかかり、フルオープンまで5か月かかった。「30〜40万冊もある蔵書を移動させるため、トラックが何度往復したかわからない」と笑う。
 「ちょっと待ってくださいよ」と、机を探り、玉砂利(写真左)を出した。旧図書館は、中央に池があった。池に敷き詰められていたのを、記念にもらったという。「昔の思い出ですよ」と懐かしそうだ。
 移転後はM.I.C.カードでの貸し出しや、電子資料も利用できるようになった。2013年のリニューアルでは、飲食可能スペースができ、本の配置もがらりと変わった。2017年には、自動貸し出し機が中央図書館の1階のカウンター脇に設置され、ますます便利になった。
 「昔の静かな環境も好きでしたが、今の図書館は利用者が増えて活気がある。多くの学生が図書館に集うのはうれしいですね」。その言葉から、現在も変わらず、図書館を見つめる視線が感じられた。

田中知花(大食2年)、服部美久里(大環2年)

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