武庫川女子大学
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武庫川学院80周年 共通教育『本を編む』履修生も取材中!

共通教育「本を編む」は、2016年度から2019年度の4年間で、学生が取材、執筆、編集を学び、「もう一つの80年史」を作るチャレンジングな授業です。
学生が書いたフレッシュな記事を、一足早く、お届けします。

★名誉教授 堀江登先生(生活環境学部) 「君たちならできる」[2018/03/31更新]

 指導者の立場に立てる管理栄養士を増やしたい。堀江先生はそんな想いを抱いて、30年前、この武庫川女子大学にやってきた。
 本学出身の陸上選手、堀江美里選手の父であり、食物栄養学科の教授から名誉教授となった堀江先生は、教授として、また父としても武庫女生を長年見守って来た。
 「久しぶりだから、ネクタイの結び方忘れちゃった」。インタビューの際の朗らかな笑顔に、私たちの緊張もほぐれた。
 終始和やかだった先生の声色が、真剣味を帯びて感じられたのは、忘れられない思い出についてうかがった時。文化祭で学生と意見が対立したという。授業中にもこっそり髪にカーラーを巻いているような学生らだったのに、学生皆で力を合わせる場ではその印象が覆えされた。文化祭実行委員会の学生らは、全員で責任をもって招いた超人気アーティストのライブを成功させ、閑散としていた文化祭を、現在のような毎年たくさんの人が訪れるようにする足がかりを作った。その時、この子たちは社会に出てもきっとリーダーシップがとれる。そう確信した。
 「出産という次の時代を作るために最も重要な役割を担う女性を積極的に支えるのは、男性の仕事だ。それができて初めて男女平等になるのではないか」と、先生は語る。
 管理栄養士にとって家事や子育ては実務経験になると考える。どんな時に辛かったのかを知っている人は指導する時の言葉に深みと説得力がでる。今は昔と違い、健康に関する情報一つとっても信憑性の薄い情報があちこちにあふれている。その中で情報を正しく評価・実行し、伝えられるような人になってほしい。君たちならできる。先生は私たちの背中を押すように、力強くおっしゃった。
(大情2年・濱田真波、大情2年・山ア蓮珠)

★名誉教授 桝形公也先生(文学部) 「MFWIと共に歩んだ6年間」[2018/03/29更新]

 MFWI(*)とは、アメリカのワシントン州スポケーンに位置する武庫川女子大学の分校である。その分校には文学部英語文化学科をはじめ、同大学の多くの学生が英語を学びに行く。今までに学んだ学生数は、1万2千人を超える。桝形公也名誉教授は2006年から2012年までMFWIで副学長を務め、英語だけでなく本来の自分を見出す力が身につく現在のような学習環境を作りあげることに尽力した。
 例えば、MFWIの認知度を高めるための広報活動、西宮市とスポケーンの姉妹校活性化プログラムの提携、EWU(*)との二重学位制度の設立のほか、英語教育機関としてCEA(*)から認定も受けた。
 一方で、たびたびのトラブルにも見舞われた。先生が着任してすぐ、学生の一人がスポケーンの街中で窃盗に遭った。外国で、しかも慣れない裁判に骨を折ったと言う。その後、2009年春には豚インフルエンザが流行。先生は保護者達を安心させるため、毎日アメリカの状況やMFWIの学生の様子を武庫川女子大学のホームページで報告した。「発熱した学生や教師もいたが、無事に全学生を日本に帰すことができた」と先生は当時を振り返ってホッとしたような表情で語った。
 学生がMFWIで過ごすことの意義について、「ただ英語を勉強するだけではない、その期間は学生にとって、忙しい日本を離れ、自分を見つめ直し、ゆっくりと自分の将来を考える時間になる」と先生は熱く語る。そして、「MFWIで学んだ学生の中には、ボツワナの日本大使館で働く人や、EWUで講師として働く卒業生もいる」と誇らしげに話した。彼女たちは何年経っても、ふとした瞬間に、深緑のキャンパスで木漏れ日の中を歩いた日々に思いを馳せるだろう。
(大英4年・日置彩菜、短日2年・吉田知永)

MFWI…ムコガワ・フォート・ライト・インスティテュート
EWU…イースタン・ワシントン大学
CEA…Commission on English Language Program Accreditation=英語教育認定協会

★名誉教授 益子務先生(音楽学部) 「音楽療法の導き」[2018/03/29更新]

 音楽を大学で学びたいという学生が全国的にも減ってきている中で、学部の生き残りを賭けたのが音楽療法という道であった。武庫女の音楽学部でも学生が減少傾向にあり、いち早く危機感を覚えた益子務教授は、「音楽と別の何かを結び付けよう」と音楽療法を提案した。関西では広まっていなかったため、学部の先生方の反対はあったが、当時の日下晃学長の後押しもあり、音楽療法を取り入れることに成功した。
 広い視野で学生の将来を考え、一人一人の可能性を見出す。教授は音楽療法と医学を結び付けるなど、多くの学生の道を切り開いてきた。学部生を何人も他大学の医学部の大学院へ現役で進学させたこともその一つだ。医学や難度の高い英語対策にも重点を置き、0からのスタートだった彼女たちを合格へと導いた。音楽で才能を開花させ、本場ヨーロッパへと渡った学生も思い出深い。自分の力を疑うのではなく、「境界を飛び越えた向こう側を探してみる」。今の、そしてこれからの武庫女に、”出来る”ということを伝えたい。学生を想う先生の笑顔は柔らかかったが、力強い言葉に私たちも背中を押された気がした。
(大心4年・藤本彩花、大英1年・中安瞳)

★名誉教授 谷本敏子先生(薬学部) 「学生たちは私の“子孫ちゃん”」[2018/03/29更新]

 病弱な幼少期に薬で助けられた経験から薬に興味を持ち、薬学部を目指した谷本敏子名誉教授。武庫川女子大学薬学部の卒業生として初めて、本学の教授になった。2016年まで本校の同窓会組織である鳴松会の幹事長も勤めており、武庫川学院との関わりは50年以上だ。
 卒業生だからこそ、本学の学生には厳しい面がある。同時に「学生は自分の子供のようで孫のようなので、“子孫ちゃん”だと思って教えています」と話す笑顔には、教え子への深い愛情があふれ、学生との距離の近さが感じられた。
 「やることをきちんとやり、周りから信頼されて頼られることが多いところが武庫女生の良い所。それは今も昔も変わらないと思います」。谷本先生は本学を誇りに思っている。「武庫女は日本一の女子大」と卒業生の結婚披露宴で必ずといっていいほど言うそうだ。
 大学4年のときは就職も選択肢にあったが、朝も夜もないほど夢中で取り組んでいた実験が楽しく、大学院に進んだ。「大きな夢がなくてもいい。目の前のことをきちんとこなしていくと何でもうまくいくものですよ」と最後に語ってくれた。おしゃべり好きだが、押しつけがましいところがなく、私たち学生から見ても「可愛らしい雰囲気」の谷本先生。これからも厳しくも温かく、学生を指導していただきたいと思った。
(大情2年・豊田莉加、大日1年・八野真緒、大情1年・谷口日菜)

★名誉教授 豊福健二先生(文学部) 「寮監や落研顧問として学生とふれあった47年」[2018/03/29更新]

 豊福健二先生と武庫川女子大学との縁は47年である。この間、日本語日本文学科で漢文を教えることを中心に、寮監、落語研究部顧問、入試センター長など、さまざまな方面から武庫川女子大学と関わり続けてきた。
 武庫女に就任した直後、有恒寮の寮監を任され、16年間勤めた。女子学生を預かる責任は重く、大変な仕事だった。「学生が実家に帰省する正月以外は、気が休まらない日々が続いた」と言う。
 武庫女生の印象を尋ねると、「今と昔で変わった印象は無く、おとなしい人が多いと感じますね」とおっしゃる。最も身近だった寮生たちは、規律や集団生活に慣れており、寮対抗の体育祭やクリスマス会では皆で団結する姿が印象的だった。
 また、20年という長い間携わり、設立と同時に部長を任された「落語研究部」が印象に残っているとも言う。落語についての知識はほとんど無く、落研生と共に研究しながら指導した。廃部10年後に作ったという『武庫川女子大学上方古典落語研究部 三十年誌「つる」が還ってきた日』には当時の部員のたくさんの笑顔が収められている。
 「毎年、担任クラスの学生、ゼミ生、落研生、寮生などの卒業生から多くの年賀状を受け取ります」と豊福先生。手にとって見せてくださった先生宛ての年賀状はどれを見ても温かな家族写真や手書きの一言が添えられており、先生と学生たちの親しさが伝わってきた。
(大日3年・生田千夏、大日3年・森下美香)

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