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甲子園会館のホテル時代の貴重な映像と写真が見つかりました。「甲子園の歴史と文化を守り育てる会」で披露。

2009/04/12

 阪神間の住民で組織する「甲子園の歴史と文化を守り育てる会」が4月12日午後、甲子園会館で開かれ、会館が甲子園ホテルだった時の貴重な映像と写真が披露されました。

 第一部で生活環境学科の三宅正弘・准教授が「旧甲子園ホテル物語~ホテル時代のスキヤキとフランス料理」のテーマでコラムニストの北夙川不可止さんと対談した後、神戸市在住の桝田輝郎さん(66)が「サプライズ映像です」と前置きして、映像を映しました。

 映像は、桝田さんの父親の故・和三郎さんが、1938年に甲子園ホテルで開かれたフィルム会社主催の芸者さんの撮影会を9.5ミリのカラー・ムービーで映したものです。約5分間にわたって、ホテル裏の庭園や池などで、芸者さんがポーズをとる姿が映っています=写真右=。

 この後、桝田さんは古書店で入手した、甲子園ホテルの絵はがきも披露しました。1936年に日本カナダ間郵便為替新約定実施を記念して発行されたもので、裏面には甲子園ホテルのカラー写真=写真中=が掲載されています。屋根の上には「KOSHIEN HOTEL」の文字だけを切り取った大きな看板が掲げられ、鮮やかな緑色の瓦が周囲の松の緑に呼応するように映えています。表面には英語で「全ての道は甲子園ホテルに通じる」と記されており、甲子園会館が社交場の中心だったことが伺えます。

 甲子園ホテルは1930年にオープンし、14年間だけホテルとして利用されました。正面から写した、屋根に看板のある写真が見つかったのは、初めてです。

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「六甲おろし」の歌詞「オゥオゥオゥオゥ」には意味があった

 「甲子園の歴史と文化を守り育てる会」第二部では、音楽学部の畑儀文教授=写真左の右側=がタイガースの法被をはおって「六甲おろしの秘密を探る」と題して講演。1936年に甲子園ホテルで披露された「六甲おろし」は、最初は「大阪タイガースの歌」のタイトルで、歌詞「オゥオゥオゥオゥ 大阪タイガース」の「オゥ」は同じ音で始まる大阪タイガースにかかる掛け声だったと説明しました。その後、「大阪タイガース」の歌詞が「阪神タイガース」に変わり、作曲した古関祐而氏は「語感の盛り上がりからいえば、以前のものにより以上の懐かしさを感じる」と述懐していることを紹介しました。

 講演の後、畑教授は日本テレマン協会の中村朋子さん=写真左の左側=と、古関祐而氏が作曲した「長崎の鐘」などを歌い、約150人の参加者はうっとりと聞き入っていました。 

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