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2024.4.1 現在

教員情報詳細

高木 史人(タカギ フミト)
タカギ フミト 高木 史人 Fumito Takagi
所属名称

教育学部 教育学科

資格

教授

学位

文学修士

研究分野

国語教育, 口承文芸研究, 昔話研究, 方言研究, 日本文学

キーワード

ムカシ(昔語り・昔話し), 言う, 聴く, 語る, 話す, 歌う, 唱える, 声, 身ぶり, 話型, 国語科教育, 領域「言葉」

社会貢献活動

2017-2018 日本口承文芸学会 会長

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  • アットまえのすうじよもじさくじょする
  • ft_fl2020アットマークmukogawa-u.ac.jp
教育研究業績書

https://www.mukogawa-u.ac.jp/gakuin/gyoseki/pdf/id_41616.pdf

新コロ難儀 雑感 (2020.10.14)

2020年春に武庫川女子大学の一員に加えられ、これからというときに、「新コロ難儀」(藤井貞和さんからのメールにあった言葉)に遭遇した。
暗中模索のオンライン、オンデマンド授業で、心身かなり参ったけれども、同じ4月入学の1年生を始め、学生たちはもっと大変な目に遭っていると思うと、ここが我慢のしどころと思う。
後期に入り、小学校教育実習、特別支援学校教育実習、幼稚園教育実習、施設実習、保育実習の引率が始まった。行く先々から、学生へのお誉めの言葉をいただく。オンラインやオンデマンドばかりで直に接することのなかった学生たちだけれども、嬉しく、誇らしい。
逆に、学生から勇気をいただいた。実習現場での緊張は、かなりのものだったようだ。その表情から、学生も辛抱していたのだと知る。ぼくは役に立っているかしら、と改めて問い直す。まだ自信はないけれども、学生時代の師(臼田甚五郎)の歌を思い起こし、心を奮い立たす。
歩みつゝ思ひ思ひつゝ歩むなり我が世の旅はきはまらなくに
言霊の学びに入りて行く末も学びに遊び遊びに学べ
[臼田碧洋]
追記1)大学時代、國學院大学日本文学第五研究室(臼田甚五郎・野村純一研究室)で学んだ。同大学説話研究会という学生研究会に所属した。顧問は臼田甚五郎だった。学部卒業論文は野村純一に提出し、大学院修士論文は臼田が主査だった(副査は『生活の古典』著者の牧田茂)。学生サークルで学生同士学びあったことが貴重な経験になっている。
追記2)死者には敬称・敬語をつけないようにした。これは学生時代、深沢七郎『白鳥の死』を読んで、そうと決めた。夢の中に、臼田、野村は父よりも多く出てくるが。日常会話では先生と呼んでいる。

新刊紹介若干(2020.11.06)

他の先生方はなさっていないのかもしらないけれどもブログみた心持ちで、記事を追加しておこう。
先の記事で藤井さんのことを書いた。藤井さんとはもう30年以上前に知り合った。大学院を出たてのころに早稲田であった物語研究会の発表を引き受けて、狭い教室で昔話についてお話しした。そのときぼくの隣に座ってうんうんとうなづきながら話を聴いてくださったのが藤井さん。
同じころ日本民俗学会年会で発表をしたときにやはり一番前に座って真剣なお顔で話を聴いてくださったのが文化人類学の川田順造さん。
数年前に川田さんに送っていただいた『現代詩手帖』「藤井貞和に問う」特集号に川田さんは、藤井さんと初めてあったのは川田・藤井・ぼく3人で西新宿のビルの一室で日本口承文芸学会会報の制作作業したときだと書いていらした。お二人に単調な仕事をお願いしていたのかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。川田さんは書いていられなかったが、作業の後、お二人に連れられて西新宿の高層ビルの見晴らしのよいラウンジで、お酒をご馳走になった。ぼくの初めての高層ビルデビューだったから、このときの印象は強烈だった。とにかく研究の話題、話題、話題である!
藤井さん、川田さんとはその後もいろいろとお教えを請うていまに至る。

川田さんの『口頭伝承論』(1992年、河出書房新社刊 その後平凡社ライブラリーに上下2冊として収められる)では、ぼくが索引作成を引き受けた。
川田さんは本書を自分の代表作だとおっしゃり、大変な力の入れようだった。索引を作成し終わった後もさらに推敲を重ねてページがずれてしまうのには驚いた(当時の索引作りはまだ手書きだった)。
『口頭伝承論』は1992年の毎日出版文化賞を受賞した。授賞式当日、川田さんフィールドワークだったか海外に行かれて不在だった。ご本人不在のまま夫人の陶芸作家・小川待子さんが受賞者代理となり、編集者の樋口良澄さん方と受賞式に立ち会った。
その年は桶谷秀昭氏、河合雅雄氏らも受賞をされていた。桶谷氏は和服姿で颯爽としていらした。河合氏はお孫さんを肩車していらしたのがいかにもお猿の研究者みたいで(?)印象的だった。
索引作りはぼくの研究の重要な土台になった。川田さんは西アフリカのモシ族の口頭伝承を主に扱った。そこでは昔話がソアスガという座で行われるが、川田さんはソアスガでは昔話がモノローグでもディアローグでもない様態、すなわち語り手と聴き手とが次々と替わりながら話が生成されることを紹介し、それをシンローグと名づけた。それはぼくが気づいた日本の「昔話の語り合い」の場に極めて近い。森正人さんの説く中世の巡の物語にも想像が膨らんだ。
さらにぼくは話がまとまりばらけを繰り返す伝承の様態にも気づき、J・クリスティヴァのポリローグをも口頭伝承の中に繰りこんで、モノローグ、ディアローグ、シンローグ、ポリローグという口頭伝承の場を設定して、これらの語りの場の交錯から、昔話や昔語りの生きられる動態を見つめるようになった。
川田さんは厳しい。授賞式よりも研究活動を選ぶ人だ。その厳しさはひもとく本からもびんびんと伝わる。真剣勝負だ。あるときはいただいた本の扉裏に毛筆で「指教」と書かれてあった。恐ろしい。
しかし同時に川田さんは人を巻き込み研究を広め深めようとする人だ。川田さんが司会を務めた「うたとかたり」というシンポジウムに藤井さん(うた)、文化人類学の卜田隆嗣さん(プナンのうた)、ぼく(かたり)がパネリストとして参加することになった(1988年6月、日本口承文芸学会大会、於・島根大学)。このシンポジウムの課題が、ぼくのその後の研究の主旋律になっている(下右写真;川田さんが司会でぼくが発表しているシンポジウムのようす)。
川田さんのもとにはいろいろな人が集まった。そのような場で、ピアニストの高橋悠治さんに山形の猿聟譚を語り、聴いていただいたのも楽しい思い出だ。

こんなことを思い出したのは、数日前に藤井さんも2020年の毎日出版文化賞を受賞なさったとニュースで知ったからだ(『〈うた〉起源考』2020年、青土社刊)。藤井さんのうた論は、うたはうたた寝等と用いられる「うたた」状態、憑依や恍惚みた状態に通底するという。これは語る行為、誣語り等にも近い。
受賞ニュースの1週間くらい前から頻繁にメールのやりとりをしている。
6月頃から「鬼滅の刃」に大いに関心があるとのことだった。昔話「炭焼小五郎」を下敷にしているという。その返信に「妹は鬼」や「片角子」の昔話も下敷かもとお伝えした。こういう興奮は隠しおけない。さっそくに教育学科3年「ことばと表現」の授業でもこれらの昔話を学生に披露に及んだ。
藤井さんは昔話の歴史を文字社会以前に遡上する試みにも挑戦している(『日本文学源流史』2016年、青土社刊)。縄文を神話期、弥生を昔話期と見る。
藤井説に触発されてじぶんなりに昔話・昔語り観を組み立て直している途中だ。
藤井さんも川田さん同様、厳しい人だ。電子メールのない時代、ぼくの書いた文章にニューヨークから航空便で批判をいただいたこともあるし、学会の公開講演会の壇上から批判をいただいたこともある。じっくり考えるとやはりじぶんに足らないところがあるのだから、やがて腑に落ちる。批判は否定と違い、建設的だ。

先達が精力的に学問への姿勢を示し続けてくださるのはありがたい。
ぼくじしんの進む道を照らしてくれるだけでなく、若い人たちに示すべきじぶんの姿勢を正してくれるからだ。
それなのに、ぼくは。

追記1) 春にいただいたメールによると、藤井さんのお爺様・水野平次(漢文学者)は奈良女退官後、武庫女でも教壇に立ったとのこと。小学生のころお爺様に尋ねられて、奈良から武庫川までの経路等を調べたことがあるそうだ。
追記2) 藤井さんを初めて「見た」のは、40年以上前学部生のころだ。大学で学会か何かがあったのか。大学の廊下を藤井さん三浦佑之さん古橋信孝さん三人が並んで歩いているのを、その真後ろから歩いて見た。友人が三人の名前を教えてくれた。三人それぞれの個性的な服装をいまでも鮮明に覚えている。

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