武庫川女子大学
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武庫川学院80周年

武庫川の流れに鍛えられて――創部53年のカヌー部[2017/07/25更新]

 午後4時半。阪神武庫川線洲先駅近くにある二階建ての倉庫に、続々とカヌー部の部員が集まってきた。体幹トレーニングとミーティングの後、それぞれ艇(ふね)をかついで武庫川に向かう。艇は長さが5m以上あり、狭い生活道では方向転換もままならない。人と艇が一直線になるよう、慎重に住宅街を抜け、踏切をまたぎ、車道を横切る。ルートの要所要所に部員が立って、安全確認をする。
 部員たちは護岸から慎重に艇を川に下ろすと、解き放たれたように川上に向かって漕ぎ出した。
 
 カヌー部は東京オリンピックが開催された1964年に同好会として発足し、翌65年、クラブに昇格した。武庫川学院創立80周年の2019年に創部55年を迎える伝統のクラブだ。1983年にインカレ(全日本学生カヌースプリント選手権大会)初優勝。1996年のアトランタオリンピックに西夏樹、渡辺麻子の2選手を初めて送り出した。その後、北本忍選手がアテネ、北京、ロンドンの3大会に、鈴木祐美子選手がアテネ、北京の2大会に連続出場し、武庫女カヌー部の名を世界に知らしめた。2010年に武庫川学院が強化クラブに指定。2012年からインカレで連続優勝を続けており、2017年8月、前人未踏のインカレ6連覇に挑む。
 部員24人の大半はカヤックの選手だが、カナディアンを選ぶ選手もいる(カヤックはパドルの左右にブレードがあり、カナディアンは片側にしかない)。実績のある武庫女カヌー部には、四国や九州、東北など全国から有力選手が集まってくる。
 キャプテンの松永あゆりさん(健スポ4年)は熊本県立水俣高校出身。「高校時代にカヌーを指導してくれた恩師が武庫女出身で、カヌーを続けるなら武庫女、と勧められました。本気でカヌーに取り組む仲間に囲まれ、互いに高めあえる環境です」と言う。
 武庫女のカヌーの強さは、武庫川にあるといわれる。河口に近く、阪神電車の武庫川駅あたりまで海水が続くため、艇が浮き、波のうねりで漕ぎにくい。それを克服することで力がつく。「カヌーで大事なのは筋力よりもバランスです。水上で自分の持つ最高のパフォーマンスができるよう、波や風や温度、浮力など、その時々の条件を味方につける経験と知恵が求められます」と、橋本千晶・強化コーチ。自身も学生時代、武庫川のヘドロで顔を汚しながら、波風と闘ったOGだ。
 水上練習は月曜を除き年中無休だ。冬の雨の日や南風で川が大荒れの日は、室内でトレーニングを積む。1回の乗艇で、10〜18q漕ぎ続ける。艇の前方に負荷をつけたり、ダッシュを繰り返したり、様々なメニューをこなす。インカレ6連覇がかかった2017年7月は、午前6時30分から約2時間の朝練習を、全員参加で続けている。
 「まだいける!いける!」。橋本コーチが堤防沿いの道を走りながら、声を飛ばした。夕方のいつもの風景。艇が通った道筋に水面が揺れ、時々、ボラがジャンプする。距離が長くなるにつれ、スピードは上がる。前へ前へ。徐々に暮れ行く武庫川に、部員たちが灯すライトが連なる。その先に2020年の東京オリンピックが見えてきた。

(米)

心の壁をスポーツで超える――障がい者と卓球で交流[2017/07/21更新]

 毎年後期になると、近くの精神障がい者通所作業所「くぬぎファクトリー」(就労継続支援B型事業所)の利用者が、中央キャンパス体育館にやってくる。心理・社会福祉学科3年の「障害とスポーツレクリエーション」の授業で月1回、学生とスポーツを通じて交流するためだ。
 参加者は4〜8人。2016年11月は男性4人が参加した。緊張した表情で体育室に入った利用者を、学生らが笑顔で引き入れる。種目は卓球。4チームに分かれ、早速、軽快な音を響かせた。顔見知りの利用者も多く、すぐ打ち解けた雰囲気になる。
 進め方は学生に任されている。事前にプログラムを企画し、30分の進行表を練り上げてきた。ダブルスを組むチームもあれば、次々選手交代するチームもある。激しいラリーが続くと、拍手と歓声が沸き、迷子になったボールを探して笑いがおきる。
 「机上で考えたプログラムが、思い通りにいかないことも多い。利用者をどう盛り上げ、プログラムを楽しんでもらうか、その場その場で柔軟な対応が求められます」と茅野宏明教授。時にはルールを変更し、無理強いはしない。タイミングを見て「お水を飲みに行きましょう」と、水分補給を促したり、雑談で気持ちをほぐしたり。
 交流会が終わると、ハイタッチや握手で健闘をたたえた。利用者が笑顔でキャンパスを後にすると、学生は「楽しかった!」「最初はどう話しかけていいか戸惑ったが、回を重ねるほど、接し方がわかってきた」「積極的に話しかけたら、ちゃんと答えてくれた」と、満足そうに語り合った。
 くぬぎファクトリーとのスポーツ交流は、「福祉レクリエーションワーカー」と「障がい者スポーツ指導者」の資格取得に必要なカリキュラムに対応する。地域の障がい者と定期的に交流することで、障がいに対する理解が深まり、地域連携の実効性も高まることから、約7年前、後期の授業に組み込んだ。くぬぎファクトリーの小谷麗子施設長が授業に参加し、利用者の日ごろの様子を紹介したり、学生の疑問に答えたりすることもある。小谷施設長は「学生が一人ひとりの特性を理解し、配慮してくれるので、利用者はストレスなく参加できています。日ごろの作業では見られない利用者の一面が発揮され、本人にも周りにも、良い刺激になっています」と言う。くぬぎファクトリーでは、2017年度後期の開講に備え、”常連”のメンバーが誘い合って休日に練習を重ね、「まだかな」「今年も行きたい」と心待ちにしているという。
 「スポーツを仲立ちにして、障がいのある人と時間を共有することで、心の壁が取り除かれる。人と人のつながりの大前提を体得してほしい」と、茅野教授。人に寄り添う現場をめざす学生にとって、欠かせない学びだ。

(米)

教員採用に強い武庫女――伝統を背に、今年も挑む[2017/07/18更新]

 7月1日、近畿各地で公立学校教員採用試験が始まった。2次試験の合格発表が出そろう10月末まで、長いレースが続く。

 「絶対、合格するぞ!」。壇上の掛け声にこたえ、会場の学生らが「おー」とこぶしを突き上げた(写真右)。2017年6月、中央キャンパスで開かれた教員をめざす学生の激励会は緊張と熱気に満ちていた。
 「教員採用に強い武庫女」といわれ、創立以来、多くの教員を輩出してきた武庫川学院。2016年4月、小学校教員に新たに採用されたのは148人。女子大日本一だ(朝日新聞出版「大学ランキング2018」より)。
 快挙を成し遂げた背景に、”特講”に代表される手厚いサポート体制がある。毎年11月から翌年10月まで、教職課程履修者を対象に教員・保育士採用選考試験対策特別講座(特講)を開講。現場を知り尽くした元校長や教育委員会経験者5人(ほかに幼保担当2人)が、連日、筆記試験対策から模擬授業、面接まで指導し、夏休み返上で長期戦に伴走する。旧教職支援室が2015年に学校教育センターとなり、体制を強化した。
 学生がめざす都道府県はバラバラで、出題傾向も異なる。英語や道徳が試験内容に加わったり、知能テストのような問題が増加傾向だったり。いち早く傾向をキャッチし、時には民間スクールと連携しながら、抜けのない対策を講じる。まさに受験塾だ。「教員になるには技術だけでなく、人間力も求められます。それらを即戦力レベルまで高めて送り出したい」と担当の特任教授らは口をそろえる。

 自主的な動きもある。
 「自分たちでできることは、自分たちでやろう」と、2015年、健康・スポーツ科学部の3年生(当時)25人が「武庫女教志ネット」を立ち上げた。励まし合って筆記試験の勉強をしたり、互いに面接練習をしたり。こうした活動が自信になり、好結果につながった。
 2016年11月、「教志ネット」は同好会に昇格。他学科にも参加を呼びかけ、1年〜4年まで登録数は200人を超える。
 2017年7月初旬。空き教室で、4年生6人が面接官と学生に分かれ、集団面接の練習に取り組んでいた。本番さながらに入室し、討論をスタート。AIで実力をつけた中学生棋士の話題をきっかけに、ICTの活用や、子どもの可能性を広げる取り組みに論を進めた。面接官役が「もっと具体的に話して」「論点がバラバラにならないよう、道筋をつける役割も大事」と、アドバイスする。
 幹事の竹林奈保さん(健スポ4年)は「友達同士なので、遠慮せず意見が言えるのがいい。互いに修正しながら高めあい、合格をめざします」と言う。
 体育教師をめざす学生が多い健スポだけに、体育実技にも熱がこもる(写真左)。マット運動は、無難にこなすだけでなく、キレの良さも必要だ。「手はできるだけ近くにつくと起き上がりやすい」「もっと弾みをつけて」。苦手な学生を丁寧にサポートする様子は、すでに”先生”だ。
 
 時を巻き戻せば、はるか68年前、武庫川女子専門学校の一期生が挑んだ「教員無試験検定」に行き着く。この試験に学校として合格すれば、次年度以降の卒業生は無試験で教員免許を取得できる制度。重責を担った一期生は、夏休み返上で試験勉強に励み、好成績で認定を勝ち取った。
 以来、全国あちこちに「武庫女卒」の先生がいる。「教員採用に強い武庫女」は長い歴史に支えられている。

(米)

武庫川学院を愛してやまなかった卒業生――祖母の思い、孫が伝える[2017/07/14更新]

 校祖・公江喜市郎氏は1981年9月6日に亡くなった。武庫川学院では、学院葬を行った10月6日を「校祖の日」と定め、毎年、教職員、学生、生徒の代表が西宮市の満池谷墓地にある校祖の墓を参拝している。同じ日、新たに亡くなった卒業生や教職員を、神呪寺にある慰霊塔に合祀する学院関係物故者慰霊祭が行われる。
 2016年の慰霊祭で、同年5月に91歳で亡くなった森田和子さんの名前が読み上げられた。和子さんは武庫川学院女子短期大学英文科K部の1期生だ。
 実は亡くなる直前、和子さんから80年史に寄せて、原稿が届いていた。署名は和子さんだが、「代筆、孫」とある。病床の和子さんに代わって、孫の青木理紗さんが思いをしたためたものだ。
 1924年生まれの和子さんは、尼崎の高等女学校を卒業後、小学校で教えていたが、戦後、教員免許を取得するため、1950年に武庫川学院が開設した短大K部(夜間)に進学した。子育ての時期も仕事を続け、定年まで小学校の教壇に立った(写真右)。
 「祖母は武庫川が大好きでした」「武庫川とともに歩んだ人生でした」とつづられる原稿は、武庫女愛にあふれていた。詳しい話を聞こうと連絡したとき、すでに和子さんは亡くなっていたが、遺族に思い出を聞くことができた。
 理紗さんと、その姉の麻奈さんも武庫川女子大学短期大学部の卒業生。おばあちゃん子だった姉妹は「物心ついたころから、祖母の武庫川話は耳にタコができるほど聞かされた」と言う。自分のことをあまり語らなかった和子さんだが、「武庫川学院」というと目を輝かせ、「公江先生は立派やった」「女性の学校で武庫川が一番。女なら武庫川に入るべし」と言い続けた。教師時代、後輩の学生が教育実習に来ると、「武庫川の子は優秀や」と、得意げに話した。卒業生に届く鳴松会報を隅から隅まで読み、武庫川に関わるイベントや公開講座は進んで参加した。その武庫女愛に影響されて、姉妹が短大に進むと、「孫が武庫川に入った」と、大喜びしたという。和子さんの次女も武庫川女子大学音楽学部卒なので、3代続く武庫女ファミリーだ。
 母校愛というには、熱愛に近い、和子さんの武庫女愛はどこから来たのだろう。
 麻奈さんは「女性も仕事を持って自立すべき、という祖母の思いに答えてくれたのが武庫川学院でした。元気だったら80周年と聞いて飛んで行ったと思います」、理紗さんは「教え子のことをいつも真剣に考える教師でした。その教師魂の源は武庫川の学びにあり、武庫川を卒業した誇りが祖母を支えていたのでしょう」と言う。
 孫たちに「これは私の証書よ」と、しょっちゅう自慢していた武庫川の卒業証書は、亡くなった時、理紗さんが棺に納めた。「優」がそろった成績表(写真左)は、武庫川学院が附属ミュージアム建設を計画していることを知り、学院資料室に寄贈した。「生きた証を武庫川に残すことができ、祖母がだれよりも喜んでいるはずです」。

 武庫川学院では、卒業生が亡くなると、遺族の意向により、慰霊塔に合祀している。慰霊塔は1969年に造られ、毎年、亡くなった方の名前が霊名簿に加えられる。鳴松会によると、記録の残る1973年以降、2016年までに合祀された卒業生は1231名。それぞれが武庫女愛を胸に、安らかに眠っている。

(米)

学生による年史づくりのチャレンジは「MUKOBON!」で始まった[2017/07/14更新]

 武庫川学院80年史は、年史としては珍しいAB 2巻セットを予定している。A面はいわゆる正史だが、B面は学生が主体的に制作する。2016年に共通教育で開講した「本を編む」の授業が、取材、執筆、編集を学び、実践する場だ。B面のアイデアのもとになったのが、2015年に発行した「MUKOBON!」だ。
 2014年、武庫川学院が創立75周年を迎えるにあたり、大河原量学院長の発案で、学生目線の「75年史」を作る企画が持ち上がった。プロの編集者とライターが指導し、学生といっしょに原稿を作成する。学部も学年もバラバラな有志14人が“編集スタッフ”になった。附属図書館の全面協力のもと、メンバーは定期的に図書館1階のマルチメディアラウンジに集まり、会議を重ねながら、取材、執筆を進めた(写真左)。
 12月まで毎月、開催された編集会議の議事録がある。
 第1回の会議では、テーマカラーとして「ピンク」、キーワードに「おしゃれ」「まじめ」「歴史がある」が上がっている。女子大らしいピンク基調の「MUKOBON!」のイメージは、この時、方向付けられた。第2回は各コーナーの担当者を決め、第3回は、データをもとに学内の話題を紹介する「データde武庫女」のコーナーについて、取材する案を各自が発表している。第4回は、夏休みに実施する「おしゃれスナップ」の人選と撮影の進め方が議論された。
 授業やゼミと違い、活動は空き時間に限られる。体育祭などのイベントや、休日の学外取材は希望者を募り、年表など机上の作業は各自に割り振った。原稿はメールでやり取りした。後期になると、ゼミや就職準備等で動きがとりにくい3年生も多く、制約の多い中での作業が続いた。
 学生スタッフが最も熱中したのは「おしゃれスナップ」の撮影会だ。スタッフ一人ひとりがキャンパスでおしゃれな学生を”スカウト”。夏休みに3回に分けて撮影会を実施した。図書館カフェ、学院記念館前、階段で、渡り廊下で、プロのカメラマンがシャッターを切った。スタッフは緊張気味の”モデル”を和ませたり、光線を集めるレフ板を構えたり、黙々と動き回った。
 「データde武庫女」は、スタッフの個性がよく表れた企画だった。「図書館のエレベーターがいつも混んでいて気になる」というスタッフは、行列の人数とエレベーターの到着する時間を計測。混雑を避ける抜け道も紹介した。この記事の影響かどうか不明だが、紹介された「抜け道」を利用する学生が増えたようだ。友人や先輩に聞いて通学時間の長短を調べた学生、武庫女生が一日にどのくらいキャンパス内を移動するか、自ら万歩計をつけて調べた学生もいた。
 また、マンガ上手な学生を巻き込んで、校祖・公江喜市郎氏の生涯と学院の発展をマンガで紹介。当時の世相や校祖の人柄をイメージするため過去の年史を繰り、メモリアルアトリウムで研究を重ねた。
 70年前の戦争の時代を振り返る「戦時下の先輩たち」、20年前の阪神・淡路大震災に思いを馳せる「阪神・淡路大震災とともに」、6年先の東京オリンピックについて、運動クラブにアンケートした「アスリートたちの全力投球」――。歴史と今、未来を行き来する視点は、80年史B面に受け継がれている。
 最後の議事録には「編集後記の作成」とある。スタッフは「編集の裏側を見ることができて面白かった」「学校を新たな視点で見られた」「自分の記事が載ってうれしかった」などのメッセージを寄せた。
 「MUKOBON!」は、2015年度の入学生に配布された。「本を編む」では「教科書」の1つとして活用している。かつての学生スタッフは卒業し、社会で奮闘中だが、「MUKOBON!」は学院史の一部として、新たな本に編み込まれる。

(米)

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