武庫川女子大学
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武庫川学院80周年

宿泊研修で学びの基地を――丹嶺学苑研修センター[2017/07/14更新]

 中央キャンパスから車で約1時間。空気が変わるのがはっきり感じられるほど、緑濃い中に、スパニッシュ建築のオレンジ色の屋根が見えてくる。2016年にリニューアルオープンした北摂キャンパス・丹嶺学苑研修センター(神戸市北区)だ。ここで、入学間もない大学1年生と短大1年生が学科ごとに1泊2日の宿泊研修「トレーニングプログラム」をする。初期演習の授業の一環で、仲間と親睦を深め、自主性と協調性を培うのが狙いだ。

1日目
 午前10時30分 入苑式
 午前10時45分 キックオフプログラム(ゲームなど)
 午後2時〜午後6時  学科メインプログラム(企画・制作)
 午後7時30分〜10時30分 学科メインプログラム(制作)
2日目
 午前9時〜11時30分 学科メインプログラム(作品発表、表彰)
 午前11時30分 野外クッキング
 午後2時30分 掃除
 午後3時20分 退苑式
  
 短大生活造形学科が2017年5月に行ったトレーニングプログラムの時間割だ。1泊2日の日程の大半を、学科のメインプログラムである課題制作が占める。かなりハードだ。
 課題は「高さ2m以上の自立するタワーを作る」と「紙でミニチュアのドレスを作る」の2題。同学科はインテリアとアパレルの2コースだが、コースに関わらず、3、4人のグループで、いずれかの課題に参加する。細かい作業にめげそうな仲間をなだめ、励ましあい、完成をめざす。倒れてくるタワーを立て直し、ドレスのダーツを修正する。さぼる学生はいない。
 2日目朝。カラフルな紙製のタワーがずらり、並んだ(写真右)。チーズのように穴の開いた黄色い三角が積みあがったタワー、ひまわりやモミジを切り絵で表した和風のタワー、緑色のタワーは芽吹き始めた樹木のよう――。
 教員による採点でトップに立ったのは「青の塔」。らせん状に36段積み上げた安定感とグラデーションの美しさが評価された。もう一方のドレス制作も、素材が紙とは思えないクオリティだ。
 「到着してからずっと制作にかかりきり。しんどかったけど、やりきった達成感はあります。コースの違う人とも友達になれてよかった」と、アパレルコースの杉山綾香さん。
 昼は野外クッキングだ。クラスごとに配られた大量の肉や野菜をグループで分け合うところから、トレーニングが始まる。包丁の使い方がおぼつかない。薪を組んで火を起こすのも、悪戦苦闘だ。「煙で目が痛い!」「ああ、火が消えた!」と大騒ぎしながら、ハヤシライスとサラダの昼食が出来上がった(写真左)。
 丹嶺学苑が1981年に開設して以来、宿泊研修は武庫女生の恒例行事だ。トレーニングプログラムは、以前は2泊3日で実施され、うち1泊は野外のテント泊。プログラムもヨモギ団子づくりやキャンプファイヤーなど、”野趣あふれる”メニューだった。近年はカリキュラムに添うよう、テント泊を廃止し、学科独自のプログラムに切り替えが進んでいる。センターが実施するアンケートでは、参加前は「大学生にもなって、泊りがけの研修なんて」と、戸惑う声が目立つが、終わってみると「かけがえのない時間を過ごせた」「また来たい」と、満足度の高い回答が並ぶ。ちょっとハードな2日を経験した後は、一気にクラスの仲がよくなり、授業に活気が出るという。
 「研修を通して、このクラスの仲間となら大丈夫、という信頼感が生まれます。それが、卒業までの学びの大切な基地になるんです」と、主任指導員の加治由佳子さん。武庫女生の仲間を思いやる優しさ、困難にめげずやり遂げる強さは、こんなところに秘密があるのかもしれない。
 短大生活造形学科が帰った2日後、母校のホームカミングデーに参加した卒業生42人が宿泊した。その後も、建築学科、音楽学部、食物栄養学科――と、入れ代わり立ち代わり、大荷物を抱えた学生がやってくる。附属幼稚園から附属中高、大学、短大、教職員、卒業生まで、年間利用者は約7500人。リニューアル後はゼミや教職員の研修、同窓会の利用が増えている。山あいのキャンパスは今日も、にぎやかだ。
 

(米)

あの日を忘れない――手書きの卒論が伝える阪神・淡路大震災[2017/07/12更新]

 村田恵子さん(当時、文学部国文学科4年)は、幼稚園のとき祖母に買ってもらったピンクの自転車を大切にしていた。成長に合わせてサドルやハンドルを調節でき、子どもから大人まで長期間、使えるタイプだ。
 恵子さんはその自転車に大学生になっても乗り続けた。自転車のブレーキ音を響かせ、「ただいま」と帰ってくる恵子さんを、母の延子さんは今もはっきり思い出す。
 “あの日”の前日も、卒論の資料をコピーするため、近所のコンビニへ自転車を走らせた。
 
 1995年1月17日、両親と兄の4人で芦屋市の自宅で就寝中、阪神・淡路大地震で崩壊した自宅の下敷きになり、恵子さんは亡くなった。22歳の誕生日まであと8日。武庫川学院に附属中学から10年通い、3月に卒業予定だった。

 2017年3月、恵子さんの両親を訪ねた(写真左)。
 仏壇の横に飾られた恵子さんの笑顔の遺影は、お菓子や花に囲まれ、にぎやかだ。3年前に訪ねたときは、恵子さんの死を受け入れたかに見えた母延子さんだったが、「やっぱり帰ってきてほしい、と思うんですよ」と、揺れる心を打ち明けた。「恵子のいた22年は思い出がいっぱいの長い22年でしたが、亡くなってからの22年はあっという間でした」。恵子さんの人生の大半を共にしたピンクの自転車が、震災の混乱の中、行方知れずになったことを、延子さんは変わらず、残念がっていた。時は止まったままだ。
 恵子さんは生前、体の弱い延子さんに代わって、家事一切を引き受けていた。一方で高校1年から始めたフラメンコに打ち込み、スペインで踊ることを夢見て、独学でスペイン語を学んでいた。旅行会社に就職が決まり、谷崎潤一郎の「猫と庄造とふたりのをんな」をテーマにした卒論も順調に進んでいた。
 不思議なことがある。だれとも喧嘩しなかった恵子さんが、震災前夜、仕事に身が入らない兄を、珍しく強い口調でとがめたのだ。延子さんが仲裁すると、「本当に頑張るのね?お兄ちゃん」と、何度も兄に問いただした。遺言だった、と延子さんは思っている。
 兄との小さな諍いの後、「やっとできた」と、卒論の束をそろえた恵子さんは、「お母さん、マッサージをしてあげる」と、母の体をさすって床についた。
 
 恵子さんが亡くなった後、両親はがれきの中から卒論を探し出し、大学に届けた。卒論は受理され、恵子さんの卒業が認められた。その卒論は、2011年1月から、約800冊の震災関連図書や、恵子さんが愛用した手帳や万年筆とともに、図書館2階の震災コーナーに展示されている(写真右)。手書きの文字が、恵子さんの息遣いを感じさせる。ワープロ書きの卒論では表せない存在感だ。几帳面に書き込んだ1月17日以降のスケジュールに無念さを感じるのも、手書きだからこそ、だ。

 「図書館には記憶の風化と闘う役割もある」と、河内鏡太郎図書館長は言う。震災を伝える展示コーナーは、恵子さんの遺品によって、見る人に、書籍だけでは伝わらない像を結ぶ。私たちは展示を通して、時が止まったままの遺族に寄り添うことができる。“あの日”は図書館の一角で、いつまでも色あせない。

(米)


 

応援合戦秘話――大食躍進のミラクルを起こした舞踊家[2017/07/11更新]

 2017年で53回を数えた体育祭の名物の一つ、応援合戦はいつから始まったのだろう。学生課に保管されていたパンフレットのつづりをひもとくと、第1回体育祭は、1965年に開催され、「応援コンクール」としてプログラムに登場するのは1967年。1969年大会では、審査結果も残っている。短体(短大体育科)が1位、大体(大学教育学科体育専攻)が2位、大薬(薬学部)が3位だ。1970年から「応援合戦」の名称になった。その後、順位の記録が見えるのは97年以降だが、短体と大体が常に上位を占め、応援合戦は体育系学生の独壇場だった。ところが、02年、大学食物栄養学科(大食)が、トップに躍り出る。前年8位からの大躍進をけん引したのが、大食の応援団長を務めた奥祥子さん(05年卒)だ。

 「それまでの大食には、運動が得意な人たちに勝てるわけがない、というあきらめムードがありました」と振り返る奥さんは、団長になるや、前例踏襲だった振付を一新した。「食物らしさを前面に出し、見せ方で勝負しよう」。「キューピー3分クッキング」のテーマソングをとり入れ、軽快さと親しみやすさをアピールした。また、早変わりなど、目まぐるしく変化する構成で、スピード感を出した。
 応援合戦当日はあいにくの雨で会場は体育館に。熱気が充満する舞台で大食の演技が始まると、徐々に会場が湧き上がり、一体感に包まれた。結果は優勝。応援合戦の歴史が塗り替わった瞬間だった(写真左)。この快挙に学科は熱狂し、祝賀会まで催された。「あちこちで、団長!と声をかけられました。うれしかったですね」と奥さん。

 以来、大食は常に優勝争いの一角を占めている。2008年から2010年は3年連続優勝を果たした。2017年は、軽快で大食らしい振付や3分クッキングのテーマソングはそのままに、「女の子がきのこを買いに行く」というストーリー性をもたせた(写真右)。全員が壇上にそろったのは2日前という綱渡りのスケジュールだったが、キレのよい演技を完遂。2016年に続き、優勝をさらった。団長の島田歩実さん(大食2年)は「みんなの気持ちが一つになった成果です」と笑顔。02年の大食初優勝について尋ねると、「知らなかった。つながっているんですね」。
  つながりの始まりを作った奥さんは卒業後は上方舞の楳茂都梅弥月、モダンダンサーのmidukiという、2つの顔を持つ舞踊家として、活躍の場を世界に広げている。
 応援合戦のミラクルは、奥さんの今につながっているのだろうか?
 「もちろん。応援合戦は挑戦し続ける私の心の原点です」。力強く語った。

(米)

ラジオで「武庫女」発信中――「MUKOJOラジオ」[2017/07/11更新]

 2017年4月、FM OH!(FM OSAKA)で始まった「MUKOJOラジオ」は、大学自ら定期的に発信するメディアとして、ラジオ番組を確保したのが画期的だ。
 毎週水曜、午後8時からの30分枠を武庫川学院が提供する。立ち上げにあたり、広くリスナーに好まれる女性向け番組の方向性も模索されたが、武庫女の魅力を最大限に生かそうと、ゲストに在学生や卒業生を招く今の形に決まった(写真)
 正解だった。予想以上にユニークな顔ぶれが引きも切らない。手作りアクセサリーを販売する学生起業家、自分のブランドを立ち上げたファッションデザイナー、声楽家、舞踊家――。DJの塩田えみさんも卒業生だ。
 タイトルをはじめ、DJやゲスト、CMで「武庫川女子大学」あるいは「むこじょ」と発言する回数は、ある放送回で数えたところ、49回に達した。放送を聞き逃しても、アプリを使って後日、聞き直すことができる。ツイッターでの拡散も含めれば、「むこじょ」が一人ひとりに届く回数はかなりの数だ。

 ゲストの人選をはじめ、毎回のコンテンツを決め、収録に立ち会うのは主に広報課。大学間競争が激化し、大学広報の役割は増す一方だ。武庫川女子大学も新聞、テレビをはじめ、車内広告、ホームページ、SNSなど多様なメディアで絶えず、情報発信している。広告を出すだけでなく、取材を呼び込むのも戦略のうちだ。インパクトがあるのはやはり、テレビ。2016年11月には日本テレビ「笑ってコラえて!」の「日本列島 大学の旅」が中央キャンパスを特集し、話題を集めた。
 ラジオはどうか。放送が始まった当初は、「MUKOJOラジオ」というと「学内の放送ですか」と、ちぐはぐな反応が多かったが、放送回数を重ねるにつれ、「聞いたよ」「武庫女がんばってるね」と、うれしい声が届くようになってきた。18万人の卒業生と1万人の在学生は心強いサポーターだ。
 「MUKOJOラジオ」は、80周年に向けた武庫川学院のチャレンジの一つだ。「ラジオで30分番組をやっている大学」は、関西では武庫女だけ。”古くて新しい”ラジオの威力に注目したい。

(米)

幻の名作「みどりの学園」――記録映画が伝える学院発展期[2017/07/10更新]

 1960年に制作された武庫川学院の記録映画「みどりの学園」は、卒業生とその娘である小学生の「きよこちゃん」が武庫川学院を訪ねるドラマ仕立ての作品だ。学院資料室にフィルムで保管されていたものをデジタル化し、カラー映像がよみがえった(写真右)。
 空撮が大阪湾から武庫川をかすめ、武庫川学院第一学舎(現中央キャンパス)を映し出す。着物姿のヒロインが、娘に語りかける。「この方たちが学院の生徒さんよ」。おかっぱ頭の女の子が言う。「きよこも来年は中学生だもの、ねえママ」。すました会話が時代を感じさせる。登場人物はすべて学院関係者だが、毎日放送映画による映像は本格的でクオリティは高い。
 ヒロインは当時、女優だった卒業生。学院を案内するヒロインの妹は武庫川女子短期大学(現短期大学部)の学生だ。きよこちゃんを演じたのは武庫川中学校(現武庫川女子大学附属中学校)1年の尾崎(現:坂口)葉子さん(1970年、文学部英米文学科卒)。京都に暮らす坂口さんを訪ね、50数年ぶりに映像を見てもらった。
 中学生にしては小柄で子どもらしさが残ることから、きよこちゃん役に選ばれたという坂口さんは、今もきゃしゃで若々しい。「恥ずかしいわ」と映像を見つめ、「これ、覚えてます」と公江喜市郎学院長と母子が面談するシーン(写真左)に見入った。「公江先生にあんな近くでお会いしたのは初めてでした。緊張して、何をお話ししたか覚えていないんです」。
 撮影は夏休みの間、連日、学内外で行われた。台本を渡され、セリフを覚えたが、ほぼぶっつけ本番。きよこちゃんが解剖実験を見て怖がるシーンは何度も撮り直した。「大人に囲まれて、毎日が社会見学のようでした」と坂口さんは振り返る。
 第一次ベビーブーム世代の入学で生徒が急増し、学院は施設整備を急いでいた。映像ではコンクリート造の真新しい芸術館や体育館、この年、完成したばかりの文学館が誇らし気に紹介されている。冒頭の数分間、運動部の活動をクローズアップするのは、スポーツの盛んな女子大らしい。まだキャンパスが一か所しかなく、セーラー服の中高生とスーツの女子大生が画面を行き交う。建設中の第二学舎(浜甲子園キャンパス)を見晴らし、きよこちゃんが進学を決意して物語は終わる。
 「みどりの学園」は学内で上映された後、テレビ放映もされたという。その後、50周年記念の「あすへ翔る」や「半世紀の軌跡」、60周年記念の「緑風のように」など、節目ごとに記念映画が制作されているが、ドラマ仕立ては本作だけ。コーラスの練習を見つめるヒロインが、突然、制服姿の女学生に変身する演出もあり、今見ても新鮮だ。
 近年は動画が身近になり、70周年記念DVDは学生が制作した。2014年に過去の記録映画が一部、DVDで復刻され、学内配布されたが、「みどりの学園」は含まれず、幻の名作となっている。
 

(米)

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