武庫川女子大学
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武庫川学院80周年

母と祖父の思い出たどる――一期生の家族が学院を見学[2017/02/23更新]

 「亡き母と祖父が愛した武庫川の地を、この目で見てみたい」。かねてより、武庫川学院にまつわる資料を提供してくれていた横浜市在住の市丸保雄さん(写真中央)が2017年1月、武庫川女子大学を訪問した。戦前、実家は現在の西宮市上甲子園あたりにあり、母の池田節子さん(写真左)は武庫川高等女学校一期生、祖父・池田昌司さんは現甲子園会館(武庫川女子大学・上甲子園キャンパス)の前身・甲子園ホテルに勤務していた。戦争で甲子園ホテルが閉鎖されると、一家は関東方面に移住し、二度と戻ることはなかった。市丸さん自身は戦後に生まれ、66歳の現在まで、関西と縁なく過ごしてきた。
 節子さんは戦後、夫と事業に励み、多忙さの中で、息子たちに戦前の思い出を語ることはなかったが、同窓会組織「鳴松会」関東支部の支部長を務めるなど、武庫川学院とのつながりを大切にしていた。「しょっちゅう、『武庫川学院が』『公江先生が』と口にしていました。母にとって、武庫川学院の一員であることが生きがいだったのでしょう」と市丸さん。遺品となったアルバム2冊(写真右)には、高等女学校時代の友人や先生の写真が、手書きのキャプションとともに、丁寧に整理されている。祖父の昌司さんは、大阪の料理店から甲子園ホテルに転じた。1930年開業の甲子園ホテルは、「西の帝国ホテル」と称された名建築。洗練されたおもてなしで、阪神間モダニズムを代表する憧れのホテルだった。健在の一期生の中には、高等女学校時代、節子さんと甲子園ホテルに遊びに行き、食堂で昌司さんからケーキをごちそうになった思い出を語る人もいる。
 市丸さんは、甲子園会館でホテルの面影を辿り、中央キャンパスでは、節子さんが学んだ木造校舎を移築保存する学院記念館や、学院の歴史資料を展示するメモリアルアトリウムを見学した。市丸さんは「あまりに立派な大学で、戦前の姿が思い浮かびませんね」と苦笑しつつ、「母が武庫川学院を愛してやまなかった理由がわかる気がします。きっと、一番幸せな時代だったのでしょう」と、話していた。

(米)

鳴尾駅は私たちの玄関口――建築学専攻・大学院生がモザイクタイル画で彩る[2017/02/21更新]

 下りホームは海の景色、上りホームは山の景色――。高架切り替え工事が進む阪神電車鳴尾駅ホームで、床面を彩るモザイクタイル画だ。作ったのは武庫川女子大学大学院建築学専攻・修士課程の院生たち。2017年3月18日の高架線全面供用開始を前に2月、上りホームでモザイクシートの設置作業が行われ、院生らが最終確認に訪れた。
 モザイクタイル画がはめこまれるのは、ホーム階を支える13本の柱のうち、10本の足元(幅1・3m、長さ3m)。作業員がコンクリートの上にモルタルを敷き、タイルを張り付けたシート(30センチ角)を並べていく。表面の保護紙をめくると、色とりどりのタイルで描かれた絵柄が現れた。エレベーター横、階段前という目につく場所には、古くから歌に詠まれた「鳴尾の一本松」の絵。担当した修士1年の奥田まりさんは「松の力強さをタイルで表現するのに苦心しましたが、完成してうれしい。この駅を利用する友達に『私の絵よ』と自慢します」。トルコからの留学生も参加している。ケレシュ・ウズゲさん(修士2年)は、今津の風景を描きこんだ。床面に現れた自分の作品に「わあ、きれい」とうっとり。「いつかトルコに帰っても、日本でこの絵を見てくれている人がいると思うと、楽しいです」。
 武庫川女子大学の「阪神鳴尾駅プロジェクト」は、2012年、一級建築士事務所である武庫川女子大学建築・都市デザインスタジオが、阪神電気鉄道に駅舎の外観デザインを提案したのをきっかけに、修士課程の建築設計実務J・Kの演習として始まった。線路を包み込むような駅舎の外観は、鳴尾の海をわたる帆掛け船の帆をイメージし、外壁と屋根を一体化した曲面で表現した。2015年に高架に切り替わった下り線側で、すでに地域のランドマークになっている。
 外観のインパクトに合わせ、ホームやコンコースなど、駅のあらゆる箇所で、デザインを提案。背もたれが流線形になった椅子、シースルーのエレベーターや待合室、屋根と同化した照明など、多くの案が採用された。随所に歴史も意識した。トイレ入口に、江戸時代の「摂津名所図会」(武庫川女子大学附属図書館蔵)から、鳴尾の風景を描いた作品をあしらい、趣を出した。モザイクタイル画制作は2014年度にスタートし、同じく「摂津名所図会」などをもとに、下りホームでは、波や船を図案化した。上りホームは六甲山や廣田神社など山側の風景を表現している。柱の背後から光が差し込むと、まるで床面に開く窓のようだ。
 鳴尾駅は武庫川学院の生徒、学生のほとんどが利用する「武庫川学院の玄関口」。鳴尾らしさを追求した駅舎は、武庫川学院らしさも想起させる。やわらかな曲線、明るさ、歴史と伝統、さりげない配慮――。朝夕の駅の利用で学院の一体感も高まりそうだ。

(米)

学院キャラクター活躍中――Lavyの弟妹が手作りぬいぐるみに[2017/02/21更新]

 原案はピンク色のラブリーなウサギだった。学院キャラクターのLavy。2009年、学院関係者に公募し、卒業生の白井詩沙香さん(現生活環境学科助教)の案をもとに、デザイナーの石橋亜樹さんがデザインした。お披露目の日、公江記念講堂のスクリーンに、真っ黒なウサギが映し出されると、「ええ〜?」と、どよめきが起きたという。
 「何にもとらわれず、正々堂々と今を生きる姿を描きたかった」と、石橋さん。以来8年、手がけたLavyは50種以上になる。白いワンピースを着て正面を向いた基本形から、ナース服あり、白衣あり、ピアノ演奏、料理、研究者など様々なバリエーションを展開。グッズや着ぐるみ、絵本などに活用され、学生がLavyをモチーフに、アニメーションや携帯待ち受け画面を制作するなど、教材としての活用もすすむ。いまやLavyは武庫川学院の顔だ。
 弟妹も生まれた。武庫川女子大学附属幼稚園のキャラクター・ラピちゃんとビットくんだ。2010年、幼稚園開園30周年に合わせ、石橋さんがデザインした。Lavyと同じ長い耳と、園児服が似合う子ども体型が特徴だ。幼稚園外壁の園名プレートや募集パンフレット、ハンカチ、ノートなどのグッズに活躍している。
 そのラピちゃんとビットくんのぬいぐるみを作る会が1月末、附属幼稚園の保護者対象に開かれた(写真)。材料はボアの黒手袋一対。指部分を耳や手足、尻尾に応用し、縫い合わせて綿をつめると、たちまち、モコモコの黒ウサギに。園児とおそろいのスモックを作れば完成だ。この会は4年前に始まり、手軽さが人気で、リピート参加する人も多い。4回目の参加と言う保護者は「子どもが2人いるので、ペアで2組そろえたくて。毎年1体ずつ作っています」と、慣れた手つきでスイスイ。
 現在、国公私立を問わず、多くの大学がオリジナルキャラクターを作っているが、狙い通りの活躍をするとは限らない。みんなに愛され、活躍の場を広げるLavyたちは、優秀な働き者だ。「キャラクターは使うことで命が吹き込まれ、周囲を活性化し、外へ広がっていく。Lavyはそのモデルケースといえます」と石橋さん。次はどんなLavyに会えるだろう?

(米)

母子4代武庫川学院――4代目は男の子!?[2017/01/30更新]

 創立80年を前に、母、娘、孫、ひ孫と4代で武庫川学院に連なる一家が現れた。西宮市の善塔家。4代目はなんと男の子だ。
 「妹も従妹も、その娘もみんな武庫川(学院)。武庫川だけで家系図が書けるわ」という武庫川学院一家。2011年に亡くなった初代・和子さん(セーラー服姿の写真)のひ孫にあたる5歳の仁滉君が、2016年10月、武庫川女子大学附属幼稚園に入り、4代目にバトンがわたった。
 和子さんは1939(昭和14)年、学院創設と同時に開学した武庫川高等女学校の一期生。和子さんの祖父が校祖・公江喜市郎氏と親しく、学院創設に尽力したことから、いの一番に入学した。「本当に受験番号が一番でした。母校が大好きで、何かにつけ、武庫川、武庫川と言っていました」と笑うのは、2代目の貴美子さん。母和子さんの影響で、附属中高から大学(教育学科)まで武庫川学院で学ぶことに迷いはなかった。貴美子さんら団塊の世代が在学した1960年代の学院は発展期。キャンパスが拡張され、新学舎が次々に建ち、学部学科が増設されて、女子総合学院の足取りを確かにした。貴美子さんの娘二人も中学から武庫川学院に進んだが、高校時代に留学を経験した次女倫子さんは、他大学受験を希望して、祖母と母を困惑させたという。結局、武庫川女子大学人間関係学科に進学。卒業後は世界を飛び回り、映像制作、通訳、翻訳とマルチに活躍している。「もっと学校の選択肢がほしかった」と、今も口をとがらせる倫子さんに、「まあ、武庫川に行くのは、うちのシキタリやから」と、やんわり返す貴美子さん。どちらともなく、口元が緩む。
 そんな倫子さんの長男が4代目を継ぐとは、一家にとって、うれしい誤算だ。国際派の両親のもと、ケニアやアメリカで育った仁滉君。一時帰国を機に日本人としての原体験を、と考えた倫子さんの胸に浮かんだのが“武庫川学院”だった。「すごく気に入って、喜んで通っています。ね、幼稚園、最高やね?」と倫子さんが呼びかけると、「うん、大好き!」と元気な返事が返ってきた。「おもちつきも、遠足もあるね」「先生優しいよ」と楽しそうな3代目、4代目を、「お母さん(初代)、喜ぶやろね」と、2代目が目を細めて見守った。                              

(米)

80周年記念プレイベントK 座談会『女専時代』開催―ルーツは女専にあり[2017/01/30更新]

 2016年10月3日、武庫川学院創立80年記念プレイベント第2弾として、座談会「女専時代」を開催。戦後間もない1946年に開校し、5年で幕を閉じた武庫川女子専門学校1〜3期の卒業生9名が集った。高等女学校と大学のはざまで、あまり語られることのない女専時代だが、国文科、家政科、被服科、英文科をそろえて高等教育に道を拓き、いち早く新制大学の認可につなげた功績は大きい。まさに武庫川女子大学のルーツは女専にある。
 卒業以来の母校という人も多く、やや遠慮がちに席に着いたが、旧友の顔を見つけると、笑顔がはじけた。持参のアルバムを広げ、顔を寄せ合って思い出を辿る人、「こんな素晴らしい学校になるなんて」と涙ぐむ人もいた。
 冒頭、大河原量学院長は、「武庫川学院が全国屈指の女子総合学院になりえたのは、女専あればこそ」と言い、糸魚川直祐学長は「豊かな感性、やさしさ、勉強熱心――これら立学の精神に基づく良い学風の基を築いたのはみなさんです」とたたえた。
 参加者は戦争中、学徒動員等で思うように勉強できなかった歯がゆさを語り、「戦後、勉強できることが、どんなにうれしかったか」「あらゆる英語をむさぼり覚えた」など、向学心に燃えた日々を振り返った。女専1期生が教員無試験検定に猛勉強で挑み、認定校を勝ち取ったことが話題にのぼると、「おかげで私たちは無試験で教員免許がもらえた」と、2、3期生から感謝の声が上がった。図書の不足を補うため、各家から蔵書をかき集めたこと、修学旅行で富士五湖から箱根を巡ったこと――。記憶が記憶を呼び覚まし、「ぬか袋で床拭きしたね」「周りはイチゴ畑だらけやったね」と、話はあちこち飛んだ。
 座談会は、共通教育「本を編む」の授業の一環として、図書館2階のグローバルスタジオで行われ、履修生約30人が同席した。「勉強がいやになったことは」という学生の質問に、「私たちはハングリーだった。恵まれている今こそ、一生懸命勉強を」と、先輩らしく回答。「人の和を大切に」「武庫川の名に恥じない人になって」と、エールを送った。

(米)

                          

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